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知っているようで知らない「チャイム」の音楽会

投稿日:2022年01月29日 10:30

今週は「チャイム」の魅力にさまざまな角度から迫ってみました。「チャイム」と言われて即座に楽器を思い浮かべる方は少数派だと思います。しかし、オーケストラでこの楽器を耳にする機会は決して少なくありません。別名はチューブラー・ベル。tubularとは「管状の」。つまり「管状の鐘」という意味です。日本ではなんといっても「NHKのど自慢」の楽器として親しまれていますが、オーケストラでは教会の鐘の音を表現する場面でよく登場します。
 「チャイム」が登場する有名曲といわれて、まず思い出すのはベルリオーズの「幻想交響曲」。教会の鐘の音として登場します。でも、実際にはこの曲が作曲された1830年時点では、まだ「チャイム」は発明されていません。ベルリオーズが指定したのは「鐘」で、もし鐘を調達できない場合はピアノで代用することを想定していました。実際にインマゼール指揮アニマ・エテルナが鐘をピアノで代用した演奏を聴いたことがありますが、これは少数派。現代では「チャイム」を使うのが一般的です。
 ほかにもチャイコフスキーの祝典序曲「1812年」、ムソルグスキー(リムスキー・コルサコフ編曲)の交響詩「はげ山の一夜」、ムソルグスキー(ラヴェル編曲)の組曲「展覧会の絵」、レスピーギの交響詩「ローマの祭り」など、チャイムは華やかで色彩的なオーケストレーションが施された楽曲で活躍することが多いと思います。
 今回はそんなチャイムにソロ楽器としての活躍の場を与えるべく、「展覧会の絵」の「バーバ・ヤーガの小屋」をチャイムとエレキギターで演奏するなど、新しいアイディアが試されました。「バーバ・ヤーガ」とはロシアの民話に登場する子供を喰らう怪異で、日本風に言えば山姥のこと。臼に乗り、片手に持った杵で臼を急き立てながら追いかけるという怖い山姥なのですが、エレキギターとチャイムの組合せはまさにバーバ・ヤーガにふさわしいド迫力。こんな曲が聞こえてきたら逃げ出すしかありません。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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前代未聞の演奏!もしもの音楽会

投稿日:2022年01月22日 10:30

音楽を聴いていて、ふと「もしこんなことをやってみたらどうなるのかな……」という素朴な疑問が浮かぶことがあります。そんな疑問に日本のトップレベルの音楽家たちが本気でこたえてくれたのが今回の企画。これはびっくりしましたよね。
 「もしもボレロの小太鼓を他の打楽器で演奏してみたら」には意表を突かれました。本来、ラヴェルのボレロはずっと小太鼓が同じリズムを刻む曲。そこにいろんな楽器が交代で同じメロディを奏でて、どんどん音色が移り変わるのが聴きどころ。だったら小太鼓が別の打楽器に変わったらどんな曲になるのか。ドラムセット、カスタネット、アゴゴベル、銅鑼、しまいには相撲太鼓まで登場して超ジャンル横断的「ボレロ」が誕生しました。
 「もしもメチャクチャ細かい指示が書いてある楽譜を演奏したら?」では、古今の作曲家たちがくりかえし変奏曲の題材にとりあげてきたパガニーニの主題をもとに、川島素晴さんが変奏曲を作曲。「甘く歌うように」とか「とても表情豊かに」というのはわかるのですが、「キュンです ♡ 」とは? 服部百音さんの熱演がすごい! おしまいに登場する蚊が痒そうでした。
 圧巻は「もしも漫才の掛け合いを音楽にしたら」。こちらも川島さんの作曲です。サンドウィッチマンの漫才と音楽がぴたりと合致しているのも驚きですが、漫才抜きで聴いてもちゃんと曲に聞こえるんですよね。もともとの漫才にある対話性が音楽として転写されている、ということなのでしょうか。楽器と楽器の対話から音楽が生まれると思えばこれも納得!?
 「もしも名曲を逆さまに演奏したら」では、有名な「乙女の祈り」が登場。これを上下反転してみると、すっかり乙女感はなくなり、別の音楽に。まるで乙女が勇敢な戦士に変身したかのよう。意外といい曲になったと思いませんでしたか。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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トリオの名曲でぶつかり合う3人の音楽会

投稿日:2022年01月15日 10:30

今週は藤田真央さん、佐藤晴真さん、服部百音さんの新世代ソリストたち3名によるトリオをお楽しみいただきました。国際的に注目される若き実力者たちの共演は聴きごたえ十分。ピアノ・トリオの名曲に3人が相談して題名を付けてくれましたが、楽曲のイメージがよく伝わってきたのではないでしょうか。
 最初の曲はモーツァルトのピアノ・トリオ第1番 K.254の第1楽章。作曲は1776年ですので、モーツァルトはまだ20歳です。トリオの中心にいるのはピアノ、その相手役となるのがヴァイオリン、両者をそっと支えるのがチェロといった役どころ。リラックスして会話を楽しんでいるようなアットホームな雰囲気があります。3人の奏者で話し合って付けた題名は「少年の戯れ」。若き日のモーツァルトの天真爛漫な楽想にぴったりです。
 2曲目はブラームスのピアノ・トリオ第1番の第1楽章。ピアノ・トリオの名作ですが、若き日にいったん完成させた曲を、円熟期になってから改訂したという少し珍しい作品です。そこで3人で付けた題名が「青春の回想」。3人のパッションがひしひしと伝わってくるような熱い演奏でした。ブラームスならではの濃密なロマンに胸がいっぱいになります。
 最後に演奏されたのはショスタコーヴィチのピアノ・トリオ第2番の第2楽章。ショスタコーヴィチはソ連時代の作曲家でしたので、自由な創作活動は許されていませんでした。芸術家が当局の方針に従うことを求められる社会体制のなかで、自分が本当に表現したいことを表現するにはどうしたらいいのか。そんな葛藤から、ショスタコーヴィチは多様な解釈が可能な二面性を持った作品を書くようになりました。この楽章もユーモラスなようなグロテスクなような、楽しんでいるような怒っているような、一言では語れない複雑な表情を持っています。服部百音さんが題した「束の間の可愛くて攻撃的な遊び心」には、そんなショスタコーヴィチの作風が反映されていると思います。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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奄美のシマ唄を歌い継ぐ休日

投稿日:2022年01月08日 10:30

今週は元ちとせさん、里アンナさんのおふたりをお招きして、奄美のシマ唄をお楽しみいただきました。
 言葉も違えば、歌唱法も独特で、強烈に異文化を感じさせる音楽なのですが、それにもかかわらずどこか懐かしさを感じさせるのがシマ唄の不思議なところ。心の琴線に触れる歌声をたっぷりと味わうことができました。訳詞を見なければ意味がわからないという点では、クラシックの歌曲やオペラを聴くときと同じ心構えを要するのですが、シマ唄には言葉を超越してダイレクトに伝わってくる生々しい感情表現が込められているように思います。
 「シマ唄」という言葉、てっきり「島唄」だと思っていたら、実は集落やテリトリーを意味する「シマ」の唄ということだったんですね。日々の生活の中から唄が生まれ、譜面ではなく口伝で歌い継がれてゆくという成り立ちはほとんどの民謡に共通する特徴だと思いますが、それが土地に根差した形で現代まで歌い継がれているのは稀有なことだと思います。
 おもしろいなと思ったのは昭和のシマ唄、「ワイド節」。古い曲を歌い継ぐだけではなく、新曲も書かれているんですね。曲名から広々とした光景を歌った曲を想像してしまいましたが、「ワイド」とは徳之島の方言で「がんばれ」「やった」の意。徳之島には闘牛の文化があり、その掛け声なんだそうです。スペインの闘牛でいうところの「オーレ!」みたいなものでしょうか。曲調から人々の熱気が渦巻いている様子が伝わってきます。闘牛というと、ついビゼーの「カルメン」を連想してしまうのですが、情熱的な表現はどこか一脈通じるところがあるような気もします。
 最後に演奏された「豊年節」は、アコーディオン、ギター、パーカッションが加わった現代的なアレンジで。これは古くて新しい音楽、ローカルでありながらユニバーサルな音楽だと思います。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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