原子燃料サイクル施設でも実に多くの施設を見せていただき
最後に数千本の使用済み燃料集合体が眠る冷却プールの見学を、緊張感を持って終え
建屋の外に出て、車に乗ったところで急にめまいがしました
「なんだろう?」・・・それが東日本大震災でした
その後、なんとか青森市内にたどり着き、系列の青森朝日放送に飛び込み、
ANN取材団の支配下に加わりました
翌日早朝に取ってあった青森新幹線「はやぶさ」チケットはもちろんボツ
青森空港で200人以上のキャンセル待ちに並んで、夜の臨時便で何とか東京に帰りました
飛行機を待っている4時間余りの間に、
空港のレストランで、同行して頂いていた原発関連のエキスパートの方々4人に
「今、何が起きていて、これからどうなる可能性があるか」
と、図解を交えながら、つぶさに教えていただきました
山の様にした質問にも一緒に悩みながら答えて下さいました
いずれも想定外のことばかりでした
最初の数日間、テレビ朝日の原発関連の解説者は
基本的に私がブッキングした先生を中心に回りました
民放初の連日ノーCM放送は、途中で打ち合わせの時間が取れません
刻々と変わる状況に対応しながら
今、解説者にとって何が必要かのメモやフリップ原稿は
殆ど私が一人で発注した日もあります
画面には殆ど出ませんでしたが、常に報道フロアに張り付いていました
自分でも驚いたのですが、最初の1週間で5kgやせました
程なく私は報道局「原発班」に臨時に入ることになりました
震災から1ヶ月ほど経ったところで、私は本来のアナウンス部業務に復帰したのですが
それ以降もずっと原発班のバックアップに当たっています
そんな中、あるところから福島第一原発1号機原子炉建屋の図面を入手しました
取材で出会った複数の専門家の方に実際に見てもらったところ
「間違いなく本物の図面ですね」とのこと
ちょうどゴールデンウィーク直前だったので、ある程度の時間が取れる事もあり
これをもとに自宅で正確な模型を作る事にしました
これまで交通事故取材での30tトレーラー、万景望号、軽装甲機動車、旅客機など
様々な物を作ってきました。もちろんそんなプラモデルは市販されていないので
ゼロから図面を引いての手作りです
入手できたのはあくまでも2面図に過ぎないので、不明点は沢山ありますが
直前に取材した柏崎刈羽原発の経験も活き、専門家の方々からアドバイスも頂けました
実際に作る過程で
「ここは吹き抜けになっているはずだから構造的に・・・」
「この配管はここにつながり、こんな役目で」
「このタンクの役割は?」と今まで見えなかったことが見えてきます
|