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Vol. 12
萩野志保子アナの「アナの一分(いちぶん)」 |
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遠い時代の彼らの暮らしがこれ程までに痛切に心に染み入るとは。
原稿を書いている今でも、まだ三村新之丞の肩や背中が目の前にちらついて、
思わず遠くを見つめてしまいます。
当たり前ですが、予告だけではこの映画はわからない。
いや、もちろん当たり前なのですが、そんな当然のことを繰り返したくなるくらい、
映画『武士の一分』は、「間」が切実です。「マ」ではなく「アイダ」。
何かが起きる、その事件と事件の「間」が、ただ経過するのではなく、
堪らなく丹念に描かれているのです。
平穏な暮らしに降りかかる大事に、顔の表情だけでなく躯の表情まで変わっていく様。
変わっていくとは、視力を失ったことだけを指しているのではありません。
自信を失い、男としてのやりきれなさを携えた新之丞の肩、腕、背中。
縁側に座る「躯の表情」は、後姿であっても、気持ちの移ろいを語るのです。
幸せな平凡を慎ましく実直に生きる彼ら家族の暮らしが、
丹念に愛情深く描かれているからこそ、
破綻を強いる事件の残酷さに身を引き裂かれるような気持ちになります。
感情移入しすぎて心の置き所がなくなりそうなときに、
「これはお話なんだから、映画なんだから」と言い聞かせることがありますが、
新之丞の切羽詰った堪えられなさに、「これは木村拓哉さんなんだから」と、
敢えて無理やり我に返らせようとしたくらい、堪らない、さし迫った感じを持ちました。
絶対劇場にお運びいただきたいと、本気でお伝えできます。
長くなりました、タイトルは「アナの一分」でしたね。 |
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私の一分とは、「
本気で謝ることができること」でしょうか。
自分が失敗したとき、自分が悪いときに、言い訳したり誤魔化したりせず、
心から謝る、詫びる、身にしみて反省することができるかどうか。
ここだけは守っていきたい、私の一分です。
了 |
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