|
9/29 |
|
Vol. 4
下平さやかアナの「アナの一分(いちぶん)」 |
|
|
|
|
この作品を拝見して『一分』とは「矜持」であり「譲れないもの」であると解きました。
みなさんも時代劇や小説などで‘武士道’に触れることがありましたよね?
私はこれまで「武士には人生を賭して守るものがあってかっこいいなぁ。」と羨むだけで、自分と彼らの生き方を重ね合わせることはありませんでした。
時代や文化が生んだ別種の人間だと考えていたのです。
ところがこの『武士の一分』を観た後は・・・。
武士も、その妻も、中間(ちゅうげん・武士の身のまわりのお世話をする人)も、
自分の良心に恥じないように生きたいと願っている生身の人間。
人間関係や経済的な問題に悩んで苦しんで、
現代のサラリーマンと違わない環境で踏ん張っていたのだと気づきました。
そんなふうに身近に感じられた理由は、
自然で温かみのある演出と、主演の木村拓哉さんが持つ究極の現代的な顔立ちや
表情、存在感であるように思います。
そして、「アナの一分」です。
『言葉で表現することを、あきらめない。』ということでしょうか。
お。格好良いのでもう一度言ってもいいですか? |
|
「
言葉で表現することを、あきらめない。」
時代とともにアナウンサーに求められることが多様化しても、
私たちの仕事の本質は『言葉』であると思うのです。
芸術や数式、躍動する肉体で表現するのが得意な人がいるように、
私は美しい日本語の無限の組み合わせで森羅万象を伝えたい。
上手い言葉が見つからないとあきらめそうになっても、
私には言葉以上の表現はないのだからと自分に言い聞かせています。
日常生活でも「きっと、言ってもわからないよ。」とか、
逆に「言わなくてもわかるでしょ。」などと逃げないようにしなくてはいけませんね! |
|
|
|