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2006年12月全国一斉ロードショーの話題作、『武士の一分』
(公式サイト:http://www.ichibun.jp/)
なんとテレビ朝日アナウンサーは一般公開よりも一足お先に『武士の一分』を見ることが出来ました。
…ということで、アナウンサーが1人ずつ映画を観た感想、
そしてそれぞれの『アナの一分』を更新していきます。 |
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Vol. 14
森下桂吉アナの「アナの一分(いちぶん)」 |
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映画の中で「武士の一分」という言葉が出てくるのは、
物語も後半に入ってからのことである。
果し合いに臨む理由を尋ねた剣術の師に対して、
木村拓哉演ずる主人公が「武士の一分」と答える。
その一言を聞いた師は、それ以上の追及も、反対もしなかった。
「一分」という答えは、わかる人にとってはそれだけで「十分」なのだろう。
さてそこで、アナウンサーにも「一分」なるものはあるのか。
答えは、「YES」。
ただしそれは、時と場合によって形態を変えるだけに、
なかなか一言で説明するのが難しい。
そもそもかつてそれは「アナの一分」ではなく、
「アナの常識」といわれていたはずだった。
それが今では絶滅の危機に瀕し、ギリギリの攻防ラインでの戦いが続いている。
特に、私が担当しているスポーツの分野ではそれが顕著だと言えるかもしれない。
映画の話に戻るが、物語の最後に、「武士の一分」を持つが為に切腹する男がいる。
一分さえなければ生きながらえる道もあったであろうに。
なれば「アナの一分」が為に、自らアナであることを断つ時も来るかもしれない。
そう考えると「一分」というヤツは美しくも厄介なシロモノである。
こう書きながらも私は、「アナの一分」が何なのかをうまく表現できずに悩んでいた。
別にもったいぶっている訳でもない。
現に「武士の一分」とて人様々であることは映画を観ればわかる。
しかし今、ふと思いついた。それは奇しくも山田洋次監督が教えてくれたような気がする。
そう、私にとっての「アナの一分」は、 |
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「それを言っちゃあおしまいよ、の精神」であると。 |
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