大越健介の報ステ後記

沖縄慰霊の日に
2023年06月25日

 今年の梅雨は少し長引いた。6月23日の沖縄慰霊の日までに、梅雨明けの発表は間に合わなかった。
 沖縄全戦没者追悼式が営まれた平和祈念公園。夜が更けても収まらない蒸し暑さに、手のひらがじっと汗ばむのを感じながら、僕は中継カメラの前に立った。でも、背中を伝うのは冷や汗だったかもしれない。それくらい、この日のコメントづくりは追い込んだ。

 ニュースキャスターにもいろいろあるだろうが、僕はめんどくさい部類かもしれない。普段から、番組冒頭をはじめ、重要なVTRの項目の区切りなどには、自分の言葉で語りたい思いが強い。コメントは一から自分で書き始めることが多いし、ディレクターたちが案文を考えてくれても、手を入れてほぼ完全に上書きしてしまうこともある。申し訳ないな、と思いつつ。
 しかも、出張で外に飛び出す中継オペレーションになるとなおさらだ。僕自身がコメントする時間と手間は2倍、3倍になる。自ら足を運んで取材した分、思い入れも強くなり、コメントづくりに唸ってしまうのだ。

 ことしの沖縄慰霊の日もそうだった。
 これでもジャーナリストの端くれだから、客観性を損なわないよう、控えめに取材実感を語ることを心がけている。VTRからこぼれてしまった事実を過不足なく補い、言葉の選択にこだわり、心してコメントを作成するのがモットーだ。
 しかし、この日はいつにも増して、キーボードを打つ手が進まない。

 今回の最大のテーマは、戦争の記憶の継承の大切さだ。先の戦争から78年が経ち、戦争経験者が少なくなっていく。結果として、戦争を知らない戦後世代が、戦争を語り継ぐ「主体」となっていかなければならない。時代は難しい局面に入っている。

 平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」に刻まれた戦没者の名前は、実に24万余り。4年ぶりにコロナによる行動制限が解除されたとあって、たくさんの人が訪れていた。地元の新聞は、「例年と比べて少なかった」とその印象を記していたが、戦争経験者がそれだけ減ったからだろうか。その分、子や孫を連れてやって来る戦後世代の姿が目立ったように感じた。

 大阪から来たという親子は、直接沖縄戦と関わりはないそうだ。だが、両親は中学生の息子に学校を休ませ、平和の礎を訪ねたという。
 「同じ苗字の人の名前がずっと並んでいました。同じ家族の人たちなのかなと思いました」と少年は語った。彼はきっと実感したのだ。地域ごと、家族ごと、一般人が犠牲になる惨劇が、あの太平洋戦争末期の沖縄戦だったということを。戦争の現実と平和への願いが、78年という時空を超えてひとりの中学生へと伝わった。この平和の礎をかすがいとして。
 そこに僕はある種の「救い」を感じた。

 戦没者追悼式で高校3年生の平安名秋(へいあんな・あき)さんが「平和の詩」を朗読した。会場で聴きながら、僕が感じた「救い」は、「頼もしさ」へと変わった。
 「礎に刻まれた『兄』に そっと触れるおばぁの涙」によって、そのとき中学生だった平安名さんが覚醒していく。

 私は過去から学び
 そして未来へと語り継いでいきたい
 おばぁの涙を
 沖縄の想いを

 かけがえのない人達を
 決して失いたくはないから

 今日も時は過ぎていく
 いつもと変わらずに

 先人達が紡いできた平和を
 次は私たちが紡いでいこう

 今回、僕たちの番組がテーマとしていた「戦争の記憶の継承」は、ひとりの高校生によって、鮮やかに体現されていた。僕は率直に感動を覚えた。
 追悼式を終えた後、高齢のため直接足を運ぶことができないおばぁに代わり、平安名さんは、おばぁの兄の名が刻まれた礎に花を手向け、祈った。
 「おばぁは、刻まれた名前そのものでなく、この名前を通じて兄そのものに触れていたのだと思います。遺骨も帰ることがなかった兄そのものに」。平安名さんは静かに語った。

写真1_0625

 こうした印象的な取材の数々は、すべて映像に記録され、誠実に編集された。そのVTRが流されるのを受けて、僕が現場からの中継でコメントを述べることになっている。
 そのVTR以上に付け加える言葉が見当たらなかった。「VTRからこぼれてしまった事実を過不足なく補い、言葉の選択にこだわり、心してコメントを作成する」のがモットーのはずが、放送時間が迫ってきても焦るばかりである。

 そうして、僕は腹を決めた。
 今回のテーマは「戦争の記憶の継承」だ。それはこれまでも、そしてこれからも続くテーマである。目新しい表現にこだわってみても仕方がない。シンプルに、繰り返して訴えていくことにこそ意味がある。だから僕は、平安名さんが強調した詩の一節を、もう一度紹介することにした。悩んだ末の中継コメントは、こう締めくった。

 「私自身、戦後の高度成長期に生まれ、平和な時代を生きてきました。平和な日常が当然であるとさえ、感じて生きてきました。しかし、ウクライナをはじめ、世界で今も戦争が頻発する現状を考えたとき、決して平和はあたり前のものではないのだと改めて感じます。平安名さんの平和の詩をもう一度かみしめます。『先人達が紡いできた平和を 次は私達が紡いでいこう』。沖縄のひとりの若者が発したこの言葉の意味は、極めて重いと思います」。

 面映ゆいような、ストレートなコメントだ。でも、この日は許されると思った。こうしたコメントを、これからも臆せず伝えていこうと思った。戦争の記憶を継承することは、そう自らに言い聞かせ続けることに他ならないのだから。

 僕たち取材チームが沖縄から東京に帰った翌日、沖縄の梅雨が明けた。一方東京では、なお雨雲としつこいお付き合いをしなければならない。
 本場である沖縄には遠く及ばないが、わが家の家庭菜園では、10日ほど前に芽を出した直まきのゴーヤが、ようやく本葉を伸ばし始めた。これから旺盛に育ち、東京で梅雨が明けるころには、濃い緑の実を、ひとつふたつ付けているに違いない。

写真2_0625

(2023年6月25日)

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