いとわろし
2023年08月05日

 「春はあけぼの やうやう 白くなりゆく山ぎは すこしあかりて…」
 「枕草子」の冒頭の一文を読み上げながら、古文の教師が言う。
「平安時代に清少納言が書いた、いわば随筆だね。春は何といっても夜明けがいい。遠くに見える山の端の方が、だんだん明るくなっていく様子がいい感じだなあ、という意味だ。で、こういう心情を当時は『をかし』と言ったわけだ。面白い、趣がある、英語にすればinteresting、というところだね。『いとをかし』だと、very interestingだ。でも、答案用紙に英語で書いたらマルあげないよ!(ここで生徒が笑う)」。

 高校時代、こんな授業を受けたかどうか定かでないが、少なくとも「春」についての説明は不要だった。平安時代も昭和も、春は春だからだ。
 ところが、「春とは何か」という説明が必要な時代が、ひょっとしたらやってくるかもしれない。異常気象を研究している三重大学の立花義裕教授によると、四季に恵まれた日本とは言うものの、温暖化が進む中で、これからは長くて暑い夏と、寒い冬への二分化が進み、ほぼ「二季の日本」になっていく可能性が高いというのである。

 要因はいくつも複雑に絡み合っているが、立花教授が着目しているのが、北極の温暖化だそうだ。北半球には偏西風という西向きの大きな風の流れがあるが、北極と熱帯の寒暖差が大きければ、その「はざま」を偏西風は突き進んでいく。しかし、北極が温暖化して南との寒暖差が小さくなると、偏西風は速度が遅くなる。遅くなると蛇行を始める。

 大まかに言って、偏西風の北側には寒気が、南側には暖気がある。夏の日本は巨大な太平洋に面しているという地形的な特徴から、大きく波打つ偏西風の、凹凸で言えば凸の部分に高気圧がすっぽりとはまりやすくなる。こうして、夏が春や秋の領域まで広がり、長くなる。
 一方で、冬になると偏西風の蛇行が裏返しのようになり、日本は大陸からの寒気に覆われるので、冬は冬として厳然として存在する。そうして、日本は長く暑い夏と、寒い冬に二極化していくのだという。

 僕は去年の7月、梅雨が明けたというのに雨雲が居座り、あちこちにゲリラ雷雨をもたらす様子にほぼカンシャクを起こし、このコラムで「五季の日本」と題した拙文を書いた。「冬、短い春と来て、猛暑をセットにした雨季があり、次に本格的な夏が来て、短い秋を経て冬に至る。かくして四季の国・日本は五季の国となった」などと記した。
 ただ、僕が直感的に感じた「五季の日本」と、立花教授が言う「二季の日本」は、暑苦しい時期が長くなり、春と秋が短くなるという点で、似かよったことを言っている。僕ら一般人の肌感覚と、専門家の分析はほぼ一致しているわけだ。

 これは恐ろしいことになってきた。
 近未来の日本の古文の授業では、枕草子の「春はあけぼの」を教える際、こんなふうに教えるのかもしれない。
 「昔、日本には冬と夏の間の季節を指す、春という季節があったそうだ。今でも日本の一部では、ソメイヨシノという桜が咲いているでしょ。あれが、3、4、5月と日本列島の南から北へと順に咲いていったそうで、その様子を昔の人は、「桜前線」と呼んだそうだ」。 
 これでは本文の読解にたどり着くまでが大変だ。

 待てよ、春だけじゃない。清少納言は「秋は夕暮れ」と言ったが、秋という季節についても、もはや名残だけになってしまうのかも。
 「先生、秋って何ですか?」
 「そうだなあ。昔は夏の後、冬に入る手前に秋という季節があって、木の葉っぱが黄色くなったり赤くなったりしたらしい」。
 どうしたものか。この時代の人たちは、例えば稲穂が垂れる黄金の田んぼや、つやつやした新米のおいしさを知らないということなのか。そもそも、米に限らず、四季がなくなった日本では、どのような食生活を送るようになるのだろうか。

 想像が飛躍しすぎた。話をいまに戻そう。
 このコラムを書いている8月5日の夕方現在、非常に厄介な動きを続けている台風6号が、沖縄本島のほぼ全域と鹿児島の奄美地方の一部を暴風域に巻き込んでいる。一旦離れたにもかかわらず、Uターンしてきた出戻りの台風であり、沖縄では雨風そのものに加え、停電や断水などの被害に見舞われた。
 つかの間の平穏期間にやっと復旧した電気が、また止まってしまったという家庭や、飛行機の運航のめどが立たず、ホテルに缶詰めのままという旅行客も多い。

 立花教授によると、今回の台風6号のように、高い海水温でエネルギーを補給され、居座り続ける台風も、これからは珍しくなくなるという。季節が四季からほぼ二季へと移行していくことを含め、もはやそれは異常気象ではなく、「ニュー・ノーマル」、つまり、新しい日常となることを覚悟しなければならないと指摘する。

嘆いてばかりもいられない。「枕草子」の表現を借りれば、「ニュー・ノーマル」は「いとわろし(非常によろしくない)」、ということになるが、人間は知恵と工夫でこれに対処するしかない。

(2023年8月5日)

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