湖、サード(3番目に投げる人。5、6投目を担当。スキップの補佐も)吉田知那美、そしてスキップ(主に最後、7、8投目を担当。試合中の指示権限を持つ司令塔)藤澤五月。さらに4人のプレイヤーを率いるゼネラルマネージャーの本橋麻里、とい
「統一王者」中邑の前に敵となって 立ちはだかってくるとしたら・・・ 中邑真輔の2・17の敵はカート・アングルでした。 試合前、試合中とも中邑選手は 「内容なんかどうでもいいからとにかく勝ってくれ」 と声援を受けたそうです。 IWGPに思い入れ
手の大きな声がした。 そして次の瞬間!!! なんとぉぉぉぉ!! 「んなわけねーだろ!!」と永田選手。 こんな永田選手の笑顔、試合中では絶対に見られませんが? なんと、永田選手によるドッキリにだったそうで・・・。 永田選手勘弁してくださいよぉ~(笑) 自分、正
ロフィールトップ > エッセイバックナンバー 10月25日 出張報告~ラトビア便り~ サッカー日本代表の東欧遠征試合中継のためラトヴィアとウクライナに行ってきました。 試合結果は皆さん周知のことと思いますので、今回は旅の記憶を
で使用される会場にはなっていないのですが、それでもドイツサッカーの醍醐味を味わうのに十分な舞台でした。 試合中に監督や選手たちが座るベンチに目を向けてみると、これまた驚きと大発見が!! なんとシートが革張りなんです
の音を聞くまでは本当に何が起こるか分からない」ということを強烈に知らされました。 PK戦、日本敗退。 終わった・・・ 試合中とはうってかわったPK戦、無口な自分がいました。言葉がみつからない。完全に選手達に引き込まれてしまって、保た
が多く、スタッフのほぼ全員がおなかをやられました。(笑) そんな「もう一つの戦い」を乗り越えながら、我々も何とか全試合中継することが出来て胸をなでおろしています。 選手達はあのブーイングをエネルギーに変えて戦いました。 「もう
教えて頂きました。 木村健悟さんは2003年4月に引退し、今は巡業の責任者として、各会場を取り仕切っています。そして、試合中には必ず、本部席に座り、試合を厳しい目で見ています。 そんな木村健悟さんがG1クライマックス期間中、このよ
介」の悲壮なる決意と、健介ファミリーの絆の強さを感じていた。 そして、10.9両国。 IWGP奪取、しかし、あまりに悲しい結末。 試合中、北斗晶さんは本部席のすぐ隣で、4歳になった健之介君と1歳7ヶ月の誠之介君を両脇に置いて声援を送って
」。 自分の理想の闘いを求め新日本を退団した柴田勝頼は、2005年の東京ドーム、メインで行われた「棚橋弘至対中邑真輔」の試合中、リポーター席の隣で試合を見ていました。 そして、その時、リポーター席に座っていた私と、このようなやり取