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11月4日 実況後記・第5弾 第AFCアジアユース選手権

 
「15日間。移動1回。6試合600分。延長・PK戦にもつれること3試合。」
 日本が戦い抜いた時間。と同時に、テレビ朝日スタッフが選手と過ごした時間です。大会前の期間を入れると、もう少し長いでしょうか。あ、スタッフは決勝もいれると7試合690分です…。長かったですね。

「19泊20日。和食8回、中華4回、ホテル(マレー系など)4回、韓国2回、洋食1回」
 マレーシア滞在日数。および夕食の種類です。ちょっと記憶が曖昧ですけど、和食屋(というか、日本でいう居酒屋)では毎回のように締めの一品で丼を食べていたのを覚えてます。途中からはゲン担ぎになってしまって、苦しみながら食べてました…。鍋焼きうどんを毎回食べてた人もいました。

「7キロ増1人」
 あるディレクターの体重増です。みんな、頼んでしまった?ものは責任を持って食べようとした結果でしょうか。前半は下痢に苦しんでいた彼なのに、ちょっとびっくり。みんなで代表の練習前に走って、サッカーしてトレーニングしたのはなんだったのか…。結婚を控えた幸せ太りか、それともストレスか。

「皮が剥ける事2回」
 もともと黒いのに、日焼けで完全にいっちゃいました(笑)日中40度近くまであがればしょうがないかなと…。夕方のスコールが救いでした。いまだ黒いです。

 

 …というわけで、そろそろ本題に移ります。
 ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、先月、サッカーの「AFCアジアユース選手権」がマレーシアで行われました。この大会は、来年オランダで開催される「FIFAワールドユース選手権(20歳以下のワールドカップ)」の出場権もかかっていて、日本の19歳以下の代表が4枚の切符と、アジアの頂点を目指して戦いました。

 ほとんどの選手にとって、代表のユニフォームを身に付けての真剣勝負は初めて。特に世界への切符がかかる準々決勝は、「勝てば天国、負ければ地獄」。08年の北京五輪、10年の南アフリカワールドカップの主力世代がこの年代で世界に行けない事は、日本サッカーにとって大問題です。プレッシャーも凄まじいものだったと思います。同時に、その試合をゴールデンタイムで中継するという決断をしたテレビ朝日にとっても、大勝負の一日でした。
 実際、準々決勝は延長・PKにまでもつれこむ大激戦となりました。実況を担当したのは田畑祐一アナ。あの、アジアカップで激闘の決勝トーナメントを実況した先輩(詳しくは実況後記4をどうぞ)です。試合後、GKの西川選手が「アジアカップを思い出しました」と語りましたが、田畑アナの力も後押ししたか(?)日本は勝利をおさめました。決定した瞬間の大熊監督のガッツポーズは、今でも忘れられません。全てのプレッシャーから、皆が解放された瞬間でした。

 そして、迎えた準決勝。相手は韓国。日韓戦。この試合は自分にとって、いろいろな意味で忘れられない試合になりました。「最後まであきらめるな」この言葉を、今まで自分がどれほど安易に考えていたかを思い知らされました。言葉を安易に発する怖さを感じた試合でもありました。声が枯れてしまうことはあっても、感じたままに言葉がでてこないことはなかった。詰まっても、考えればでてきた。予測して実況してきた…。

 二度の、ロスタイムでの同点劇。

後半ロスタイムでの同点 延長後半ロスタイムでの同点

 目の前で起こる、奇跡的な出来事の連続。

 PK戦に臨む日本の選手達をみながら、自分はどう言葉を発していいものか呆然としていました。後半ロスタイム、延長後半のロスタイム。二度にわたって、自分は日本の負けを覚悟していました。「どんな言葉をかけようか…」
「最後まであきらめるな。まだチャンスはある!」解説をずっとつとめてくださった松木安太郎さんと叫びながら、実際は負けた時のことを考えていました。感じたままに喋りたいと思っておきながら、どこかで選手達の必死さを見落としていた…。最高の粘りを見せて、劇的に追いついた選手達の気迫に、「笛の音を聞くまでは本当に何が起こるか分からない」ということを強烈に知らされました。
 
PK戦、日本敗退。

終わった・・・

 試合中とはうってかわったPK戦、無口な自分がいました。言葉がみつからない。完全に選手達に引き込まれてしまって、保たなければいけない冷静さは完全に失われていました。まるで自分が外したような、喪失感。

 最終結果…日本3位。
準決勝から3日後、最後の試合を笑顔で終えた選手達。自分にも自然と笑顔が出てきました。

世界切符を獲得した夜、ピッチから引き上げる選手・スタッフ一人一人と笑顔で握手をしました。「おめでとう」という言葉に何の迷いもありませんでした。
準決勝に敗れた夜、バスに乗り込む選手達に声はかけられなかった。ポンと背中を叩くのが精一杯でした。
3位決定戦が終わったあとは…、決勝の中継もあって会うことは出来ませんでした。
 今度会ったら、なんて声をかけるんだろう?
 そして、今度こういう試合があったら自分はどんな言葉を発するんだろう?

どんな言葉をかけようか・・・

 この選手達にまけないように、自分も成長して行かなければと思いました…。

解説の松木安太郎さん&中継スタッフと
   
 
    
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