

2007年2月8日
北朝鮮の核開発の原点は、1954年に旧ソ連が行った核実験にあった。この時、北朝鮮は初めて“核の威力”を目の当たりにする。北朝鮮はこの実験の直前まで、3年に渡る朝鮮戦争を戦っていた。アメリカは韓国に核兵器を配備し、北朝鮮にとって核の脅威は現実のものになりつつあった。それから2年後、金日成首相はソ連の各施設を訪問し、ソ連との間に「原子力の平和利用に関する協定」を締結した。そこには北朝鮮の“狡猾”な思惑があったのだ。
「軍事用の核」と「平和利用としての原子力」。呼び方は違っても理論は同じだ。北朝鮮はソ連に300人の科学者を送り込み、核物理学に関する教育を受けさせた。一方、寧辺ではソ連の技術提供により北朝鮮初の原子炉が建設された。作られたのは、実験用原子炉「IRT2000」。建設にはソ連の技術者30人ほどと、北朝鮮側から1500人が参加した。
手に入れた原子炉をどのようにして核開発に結びつけたのか。その手がかりは、旧ソ連構成国のひとつ、グルジアにあった。首都・トリビシ郊外にある原子炉には、北朝鮮の研究者が核技術を学びに来ていたという。現在は封鎖されていて、かつてはその存在すら秘密にされていた。今回、特別に許可を得て施設の中に入ると、3階ほどの高さがある巨大タンクが現れた。核反応の基礎的な研究を行う実験用原子炉で「IRT・M」と呼ばれ、北朝鮮に作られた「IRT2000」を進化させたものだという。北朝鮮の研究者が派遣されたのは1970年ごろ。彼らはここで使用済み燃料棒の扱い方など、最新の核技術を学んだという。
さらに原子炉に隣接する施設へと移動すると、廊下の置くには「放射能化学実験室」という特殊な施設があった。正面の窓は放射能を通さない鉛ガラスでできていて、その中に燃料棒を置き、外からロボットアームで操作して実験を行っていた。ここでは、高レベルの放射物質(プルトニウム)を取り出すこともできるという。
プルトニウムの抽出は核兵器の製造に直結する。北朝鮮はソ連に対し、この放射能化学実験室の設置を強く要求し、寧辺の核施設にも作らせている。ソ連の核技術を積極的に導入した一方で、寧辺の原子炉が完成すると、ソ連の技術者を帰国させた。その後の核開発はソ連に極秘で行われたという。