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2007年5月3日

さよなら 〜1、2月編

亡くなった人たち。
それぞれの人生を振り返りながら、その死を悼む不定期企画。

北海道にある町立・知内(しりうち)高校野球部監督の山本鉄弥さん。エリート選手がいない野球部だったが、山本さんは熱心に野球を教え続けた。数学教師だった山本さんのノートには、250種類以上の独自メニューが記されている。努力が報われたのは1993年、部員わずか24人の知内高校が町立で初めて甲子園出場を果たしたのだ。2002年、そんな山本さんを病魔が襲い、余命1年と宣告された。それでも監督を辞めずに告げられた余命を過ぎてもグラウンドに立ち続けた山本さん。「家族に時間をとれなくてごめんね」というのが、最期の言葉だったという。
1月26日、肝臓がんにて死去。(享年60)

漫才師の生恵幸子さん。28歳で夫を亡くし、一人娘を抱えて困っていた幸子さんに声をかけたのが、16歳年上の人生幸朗さんだった。その後、2人は結婚。生活のために結成したコンビだったが、仕事は月1回の興行だけ。寝る間も惜しみ練習に励んでいた幸子さんは、漫才のために子供を堕ろしたこともあったという。そしてコンビ結成から24年、上方大衆演芸の最高峰「上方お笑い大賞」を受賞した。しかし5年後、人生さんはこの世を去ってしまった。その後、幸子さんは二度と舞台に立たなかったが、一人で練習だけは続けていた。「もっと勉強して、今度生まれてきたときも一緒に漫才をするつもり」
2月5日、脳出血後遺症にて死去。(享年83)

元防衛庁長官・運輸大臣の細田吉蔵さん。地元は、かつて"土建王国"といわれた島根県で、そこでは1963年から「宍道湖・中海干拓淡水化事業」が進んでいた。「シジミが採れなくなる」と地元漁師は反対し、嘆願書を手に細田さんを訪れた。しかし自民党は事業推進の立場であり、反対を唱えると選挙にマイナスの影響受ける可能性も…。それでも細田さんは計画の見直しを訴え続けた。苦戦が予想されたが、1986年7月の衆院選で10回目の当選を果たした。そして2年後、淡水化事業計画の延期が発表された。700億円以上がつぎ込まれた大型事業の中止は、全国でも異例の決定だった。
2月11日、急性心筋梗塞にて死去。(享年94)

青山スクール・オブ・ジャパニーズの校長だった中西郁夫さんが日本語学校を開校したのは30年前だった。

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