

2007年7月27日
亡くなった人たち。
それぞれの人生を振り返りながら、その死を悼む不定期企画。
50年以上、映画やテレビで活躍した俳優の船越英二さん。
「年をとったら、手をつないだりして歩く夫婦になりたいと思っていた」と語る妻の裕見子さん。夫婦の時間が持てるようになったのは、船越さんが俳優を引退した8年前からだった。それまで離れていた時間を取り戻すかのように、散歩や買い物はもちろん、歯医者の診察まで一緒に受けた2人。1年の半分は海外や国内など、いろいろな場所を旅した。なかでも、気に入って毎年訪れていたのが軽井沢。"チャペルで金婚式を挙げよう"と2人で約束していたという。船越さんが倒れたのは今年3月。結婚して49年目のことだった。
3月17日、脳梗塞にて死去。(享年84)
プロ野球・北海道日本ハム2軍「勇翔寮」の寮長だった菅野光夫さん。
"選手のために"が口癖だった菅野さんのノートには、選手一人ひとりのその日の出来事が細かく書き記されていた。トラブルが起きたのは、おととしの2月。ドラフト1巡目で入団した高校生、ダルビッシュ選手のキャンプ中の喫煙が発覚し、無期限の謹慎処分を受けた。悩んだ末に、厳しく接することに決めた菅野さん。ダルビッシュ選手は「よくケンカもしたし、厳しかったけど、根は本当に優しい人だった」と語る。菅野さんは、練習にも参加できずに落ち込んでいたダルビッシュ選手を誘い、キャッチボールの相手も務めた。初めて1軍昇格を果たしたときは、"二度と顔を見たくない"と言ったという。それは、2軍の寮長ならではの祝福の言葉だった。
3月22日、直腸がんにて死去。(享年54)
作家の城山三郎さん。
江田島の海軍兵学校で終戦を迎えた城山さんは、30歳を過ぎてから本格的に作家活動を始め、100以上の作品を残した。緻密な取材を重ね、事実を元に作品を生み出す・・・。
城山さんは取材の時にはペンと紙しか持たずに出るため、妻の容子さんがいつも同行して身の回りの世話をしていた。その容子さんが7年前に他界。城山さんは2人で暮らした自宅を出て、仕事場で生活するようになった。そして書き上げたのが『指揮官たちの特攻』。妻や子を残して、特攻にいった若き指揮官と家族の物語だ。
「かけがえのない人を失った悲しみは強く、また永い。