

2007年9月20日
亡くなった人たち。
それぞれの人生を振り返りながら、その死を悼む不定期企画。
「黒部の太陽」などで知られる映画監督の熊井啓さん。
緻密な取材をもとに、社会派と呼ばれる作品を手がけてきた。普段は口数も少なく、部屋にこもってシナリオを書き、次回作の構想に没頭していたという。そんな熊井さんは、40歳のときに過労が原因で胃から大量出血。“監督を続ければ、命の保障はできない”と言われた。常々、妻の明子さんに「明日、命が終わっても悔いはない。映画が撮れなくて長生きしたのでは意味がない」と言っていた熊井さん。病室に役者を呼んで点滴を打ちながらリハーサルを行い、1年半かけて映画「忍ぶ川」を完成させた。
熊井さんが生涯で残した作品は19本。書斎には未発表の脚本が遺されていて、次回作にと2つの企画が進められていたという。
5月23日、くも膜下出血にて死去。(享年76)
クラシック界の期待の新星と言われた音楽家の羽田健太郎さん。
ジャンルを問わず何でも弾き、そんな羽田さんのピアノは場所を選ぶこともしなかった。
「音楽というものは喜びを10倍にし、悲しみを2分の1にしてくれる」―――これは羽田さんの生前の言葉。
58年の音楽家人生、その最後の舞台は聴衆のいない番組リハーサルだった。末期がんに冒されていた羽田さんは、病院から外出許可をもらい、リハーサルに参加。しかし、本番のステージに立つことはなく、2週間後にこの世を去った。
6月2日、肝細胞がんにて死去。(享年58)
「仮面ライダー」や「トリビアの泉」で知られるナレーターの中江真司さん。
先妻と死別し、妻・夕希子さんと結婚したのは19年前だった。子どもがなく、夕希子さんの親戚の子供たちをわが子のように可愛がった中江さん。仕事も順調、家庭も円満だったが、その体は3年前からがんに冒されていた。それでも、カテーテル治療でがんの進行を抑えながら、それまで通りに仕事を続けた。
いつも相手のことを気遣っていた中江さんは、親友でもある俳優の納谷六朗さんに一通の手紙を遺していた。「君のおかげで晩年も幸せでした。ありがとう」
6月28日、肝細胞がんにて死去。(享年72)
浪曲師の玉川福太郎さん。
浪曲界には、戦前戦後と数々のスターが誕生したが、玉川さんが入門した39年前には浪曲人気は衰退の一途をたどっていた。