

2007年11月6日
亡くなった人たち。
それぞれの人生を振り返りながら、その死を悼む不定期企画。
作家の小田実(まこと)さんは、大学を卒業後、世界を放浪した文学青年だった。小田さんが書いた体験記、「何でも見てやろう」は、ベストセラーになった。ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ軍の北爆に反対した青年は"ベ平連の顔"として、いつしか日本有数の論客になっていた。しかし、その素顔はシャイな文学青年のままだった。「小説を書いていたけれど、そこのどの部分にある言葉がそう(プロポーズ)だ、って」と妻の玄順恵さんは語る。世界を回り、日本を回り、しゃべり、書き続けた小田さんだったが、今年4月に胃がんが見つかり、すでに手術はできない状態となっていた。闘病中に書いた小田さんの創作ノートには、こう書かれている。
「小さな人間が、小さな人間の力で、大きな人間のやり方を正しくする。それが民主主義」
7月30日、スキルス性胃がんにて死去。(享年75)
アニメーターの鈴木康彦さんの口癖は「アニメは子どもたちのもの」だった。
油絵作家を目指していた鈴木さんが、妻の幸子さんと出会ったのは高校生のとき。幸子さんが冗談で、「100通のラブレターを書いて」といったその翌日から、毎日ラブレターが届いたという。その中の一通に、こんなことが書かれていた。「私は人一倍、絵を好きなこと。誰より君を愛していることしか取り柄はないのです」。ラブレターは100通を超え、2人は結婚。鈴木さんは画家の夢を捨ててアニメーションの会社を興し、アニメ「火垂るの墓」など、数々の作品を世に送り出した。
そんな鈴木さんが倒れたのは、去年7月。締め切りに追われ、無理を重ねた結果だった。死の1カ月前に書かれた鈴木さんのメモには、たった一言だけ書いてあった。
―――「きれいだ」―――
それは、鈴木さんが幸子さんに宛てた125通目のラブレターだった。
7月11日、虚血性心不全にて死去。(享年66)
"猛牛"と呼ばれた大相撲元横綱の琴桜傑将(まさかつ)さん。
32歳と遅咲きの横綱だった琴桜さんは、ケガに泣かされた土俵人生だった。33歳のときに佐渡ヶ嶽部屋を継いだが、弟子はわずか12人。稽古場では"鬼"のように厳しく、でも稽古後は"大黒様"のように優しく暖かく、弟子たちの面倒をみる親方だった。