

2007年12月19日
亡くなった人たち。
それぞれの人生を振り返りながら、その死を悼む不定期企画。
似顔絵漫談の晴乃ピーチクさん。
もともとは『晴乃ピーチク・パーチク』というコンビで漫才をしていた。テレビの普及とともに人気が爆発。「従来の漫才より、はるかにモダンだった。テレビで全国を移動した最初のスター」と演芸評論家の花井伸夫氏は語る。
しかし昭和48年、人気にかげりが見え始めコンビは解散。ピーチクさんは漫談に転向したが、仕事は激減した。借金がかさみ、周りにいた人たちは皆離れていったが、たった一人そばに残ったのは当時高校生の息子の孝一さんだった。親子2人アパートで暮らし、生活費は孝一さんがアルバイトで稼いだ。
「絶対何とかする、絶対これで何とかなるんだ。もう一花」とピーチクさんは言っていたという。そして昭和50年ごろ、ふと思いついたのが“似顔絵漫談”だった。もともと絵心があったピーチクさんが、お客と会話をしながら似顔絵を書くというもの。そして、ピーチクさんは似顔絵漫談で平成2年度の芸術祭賞を受賞した。ピーチクさんが“もう一花”咲かせた瞬間だった。
10月23日、肺がんにて死去。(享年82)
イラストレーターの内藤ルネさん。
1950年代、ルネさんのイラストに少女たちは心をときめかせた。当時のイラストは日本画風の大人びた女性が主流だったが、ルネさんの描く“大胆にデフォルメされた大きな目”“太くてポップな線”―――すべてが斬新だった。「“カワイイ”という言葉に具体的な形を与えた人」と弥生美術館学芸員の中村圭子さんは語る。日本にパンダが来る1年前、初めてパンダのキャラクターを作ったのもルネさんだった。
時代とともに忘れ去られていったルネさんが再び注目されたのは、5年前に開かれた回顧展がきっかけだった。ルネさんは「こんなに沢山の人が集まってくれるなんて信じられない」としばらく泣き続けたという。晩年書き続けたスケッチブックには、ルネさんの“カワイイ”が沢山のこされている。
10月24日、心不全にて死去。(享年74)
とうとうと流れるアマゾン、戦いを終えたピラルクー、そして芥川賞作家・開高健―――。
これらが掲載された写真集「オーパ!」は、累計112万部を売り上げた。撮ったのは駆け出しのカメラマンだった高橋fさんだった。