

2007年12月20日
2000年12月30日、東京都世田谷区に住む宮澤さん一家4人が殺害されてから間もなく7年が経とうとしている。亡くなったのは、夫のみきおさん(当時44歳)、妻の泰子さん(当時41歳)、にいなさん(当時8歳)、礼くん(当時6歳)。現場には犯人の血痕や指紋のほか、多くの遺留品が残されていたのにも関わらず、今なお事件は未解決だ。そんな中、事件当時、隣に住んでいた泰子さんの姉が現在の心境を語ってくれた。
「きっと私に助けを求めたと思う。なぜ助けてあげられなかったのか、どうして気付いてあげられなかったのか…」
そう語る泰子さんの姉・入江杏さん。入江さんは、そのとき壁一枚を隔てた隣の家にいた。玄関こそ分かれていたものの、宮澤さん一家と入江さん一家は当時、棟続きの同じ敷地で生活していた。姉妹の希望で建てた二家族の自宅だった。
入江さんが事件に気付いたのは、翌日の朝だった。大晦日の午前11時ごろ、入江さんと同居する母親が煮物の出汁を借りるために宮澤家を訪ねた。数分後、母親は息を切らして戻ってきた。そして入江さんは部屋履きのまま飛び出し、隣の扉を開けた。
「階段のところで人が倒れていて、その上に引き出しのような物が逆さに置かれていた」と入江さんは語る。みきおさんの遺体の上には、デスクの引き出しが2つと、その中にあった文房具や書類で山ができていて、白い素足だけが突き出していたという。遺体を覆い隠すかのような状態だった。
なぜ、壁一枚向こうの異常に気付かなかったのか?
警察の捜査が明確な答えを出した。みきおさんは隣の生活音が気にならないよう、防音対策をとっていたのだ。宮澤さん宅に捜査員が入り、どれだけ大きな物音を立てても入江さんの自宅内には聞こえてこなかった。
さらに当時、現場一帯は公園化計画のため立ち退きが進んでいて、周りは野原のような状態になっていたという。宮澤さん一家も、数ヵ月後には新居に移る予定だった。
その後、事件は入江さん一家をも飲み込んだ。メディアが押し寄せるようになり、一人息子を案じて世田谷を離れた。捜査協力に忙殺される日々・・・自責の念・・・。入江さんは自殺も考えたという。
事件後の思いを一冊にまとめた本が今月、出版された。