

2008年1月23日
1972年に発売され、大ヒットした"青い三角定規"の「太陽がくれた季節」。この曲は、小学校の音楽の教科書に載るなど、老若男女が知る名曲となった。しかし青い三角定規は、そのヒットからわずか1年で解散することになる。そして2008年1月23日、34年の時を経て、再結成されることが発表された。一世を風靡した人気グループの人生の光と影に迫る。
"青い三角定規"が結成されたのは1971年。メンバーは、音楽事務所に所属するミュージシャンの卵だった高田真理(当時24)、学生のアマチュアミュージシャンだった岩久茂(当時22)、ステージのバックダンサーだった西口久美子(当時21)の3人。そんな彼らを引き合わせたのが、数々の名曲を世に送り出した作曲家・いずみたくだった。彼は『青春をイメージさせる三人が強く結ばれるように』と"青い三角定規"と命名した。
西口は「何ひとつ説明がないまま、自分の意思とは別に動き出してしまった」と当時を振り返る。どんなグループを目指すか説明もないまま、いずみたくが手がけた「翼を忘れた天使たち」でプロデビュー。日本中をキャンペーンで回ったが、この曲がヒットチャートに入ることはなかった。
しかし、その最中に彼らに一大転機が訪れる。
3人はいずみたくからレコーディングを命じられ、スタジオに入った。そこに用意されていたのは1枚の楽譜には「NTV青春」と記されていた。この曲こそ、テレビドラマ「飛び出せ!!青春」の主題歌である「太陽がくれた季節」だった。
実は3人の知らないところで、テレビドラマの主題歌を歌う話が進められていたのだ。
なぜ無名の新人が抜擢されることになったのか?
当時、日本テレビの青春ドラマシリーズは局の看板番組だった。軒並み高視聴率をマークし、主題歌もヒット。その楽曲のすべてをいずみたくが手がけていた。そうした中、いずみたくが青春ドラマシリーズの主題歌を歌わせるために結成させたのが"青い三角定規"だったのだ。
そして「太陽がくれた季節」は、ドラマの人気に伴い大ヒットした。レコードセールスは100万枚を記録し、1972年のレコード大賞新人賞を獲得。無名だった3人は、青春をイメージさせる"さわやかなグループ"として、一躍時の人となった。
その後、彼らには青春をモチーフにした曲ばかりが与えられた。