

2008年4月16日
肉親に手をかけ、自らも命を絶った悲劇…『集団自決』。今、高齢となった戦争体験者たちが、力を振り絞るようにして証言を続けている。
「どのように形を変えて言いまわしをしても、過去の事実を変えることはできない。すでに行われたことは誰にも変えられない」と語る深澤敬次郎さん(82歳)。戦争末期に特別幹部候補生として18歳で陸軍に入隊し、那覇から高速船で1時間の場所にある慶良間諸島の阿嘉島に配属された。深澤さんは退職後、戦友たちが眠るこの島に足を運び続けている。
「秘匿壕と呼ばれる壕の中に"マルレ"が2隻ほど入っていた」と語る深澤さん。マルレとは、ベニヤ板でできた船舶特攻戦艇のことだ。「250キロの爆雷を積んで夜間に出撃し、敵の艦船に体当たりして撃沈させる任務だった。陸軍に誕生した"秘密兵器"といわれていて、軍隊でマルレの存在を知っていた人はごく一部」と深澤さんは話す。特別幹部候補生とは名ばかりで、島民は許可なしに島を出ることさえできなかった。
沖縄本島に迫るアメリカ軍を撃沈しようと、日本軍は3戦隊にわけて慶良間諸島に秘密基地をつくった。深澤さんがいた第二戦隊は、阿嘉島・慶留間島の2島を管轄した。「軍民共生共死」が徹底され、自決用に軍の手榴弾が配られた島民もいた。
1945年3月26日。アメリカ軍が阿嘉島を最初に、慶良間諸島の島々に上陸した。アメリカ軍の艦隊で埋め尽くされた慶良間海峡―――第二戦隊で当時、通信隊長をしていた柴田収二さん(85歳)は、沖縄本島の軍司令部に"玉砕電報"を打った。「住民は一緒だから。兵隊も住民も一人残らず戦死するという気持ちで(電報を)打った」と柴田さんは話す。
しかし、紙一重のところで阿嘉島では集団自決が起きなかったという。日本軍の特攻作戦を事前に察知していたアメリカ軍は、慶良間諸島上陸前に徹底した爆撃を行っていた。マルレが破壊されて出撃できなかった阿嘉島では、戦闘は沿岸部に限定されて、自決は日本軍が全滅するまで待とうという声が上がったという。
一方で、同じ第二戦隊が管轄していた慶留間島では、ほとんどの世帯から自決者が出る壮絶な悲劇が起こった。40世帯中、36世帯53人が命を落とした。集団自決を体験した島民の中村武次郎さん(77)は、当時の様子をこう語る。