

2008年7月24日
2006年、特殊な放射性物質「ポロニウム210」を飲まされ、イギリスのロンドンで殺害されたロシア連邦保安庁(FSB)の元職員、アレクサンドル・リトビネンコ氏。イギリスの警察は、ロシアの特務機関の元職員らを容疑者と断定したが、ロシア政府は今も身柄引き渡しを拒否したままだ。
事件から1年半―――リトビネンコ氏の妻・マリーナさんが重い口を開いた。
「夫は23日苦しみ続けて死んでいった。猛毒の放射性物質を誰が運んだのか、誰が許可したのか…。大切な人を殺された私には個人的な悲劇だが、なぜ夫が殺されたのか、真相は世界が知るべきだ」とマリーナさんは語る。
リトビネンコ氏は、死の直前に残したメッセージでロシア大統領を名指しした。
「プーチンよ。私を黙らせても、全世界からの抗議が生涯あなたの耳に届くだろう」
2人の接点は、モスクワ中心部にあるロシア連邦保安庁=FSBという特殊機関だ。「夫は同じFSBにいたプーチンを知り尽くしていた。『あいつは本性を隠して化けの皮を被っている』といつも言っていた」とマリーナさんは語る。
1999年、プーチン氏は首相へと異例の抜擢を受ける。しかしその秋…全ロシアを震え上がらせる事件が起きた。アパート連続爆破事件―――9月4日から16日までの間、ロシア各地4カ所でアパートが次々と爆破され、死者は300人にも上った。
プーチン首相はただちにロシア連邦の一角、チェチェン共和国のテロリストの犯行と断定。23日にはチェチェン共和国への空爆を開始した。
強い指導者のイメージを打ち出したプーチン氏。当初はほとんどゼロだった国民の支持は急上昇し、半年後の大統領選挙では過半数を制して勝利した。だが、爆破の真犯人は今もわからない。
プーチン氏が大統領になると、ただちに亡命したのがリトビネンコ氏だった。そして世界に向けて疑惑の告発を始めたのだ。かつて、リトビネンコ氏はインタビューでこう語っている。「プーチンはチェチェンを国際テロと結びつけようとした。だが、ロシアの特務機関がアパート爆破を画策したという証拠がある」と。
そう断言するに至った証拠について、妻のマリーナさんはこう語る。