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2010年8月2日

中国に生きる101歳の日本人医師

中国に生きる101歳の日本人医師

中国・山東省済南市の古い集合住宅の一角にある小さな診療所は人で溢れている。診察をしているのは、1908年生まれ、101歳の日本人医師・山崎宏さん。耳は遠くなったが、週に6日、毎日3時間、患者を診ている。

日中戦争が始まった1937年、当時28歳だった山崎さんは、歩兵連隊の一員として中国に渡った。激しさを増す戦地で、山崎さんはある日、日本兵が中国人女性から3歳の男の子を奪い取り、絞め殺した姿を目撃。『たとえ銃殺されても、ここから逃げなければ』と決心し、監視の目を盗み、逃げ出した。軍の追っ手、そして同時に中国人に見つかるのを恐れ、走り続けたが、数日後、体力は限界に達し、空腹で動けなくなった。耐え切れず、通りすがった中国人に恐る恐る手を差し出したところ、食べ物と着るものもくれたという。その後も、道すがら物乞いをしながら生き延びた。“なぜ日本人の自分に”という思いのなか、頭を下げる日々が続いた。山崎さんは、「敵国の人間にものを与える。中国人の心情が今もわからない。なぜこういう温情をするのか。まだまだ割り切れない」と話す。

異国の地で8年、終戦を迎えた。多くの日本人は引き揚げていったが、山崎さんは、戦争への後悔と、日本人の自分に食べ物を与えてくれた中国人に恩返しがしたいと、中国に残ることを決意。「どうやって(中国人に)お礼をするかということは、簡単なことではない。“実際行動”において行動することで、中国の人に理解してもらおう」と思った山崎さんは、医師になることを決めた。しかし、中国語がわからないばかりか、小学校を出てすぐ農業に就いた山崎さんに医学の知識などなかった。独学で、一からの勉強が始まった。このころ、知人に紹介された中国人女性と結婚。妻も山崎さんの決意を支えた。数年に及ぶ猛勉強の末、小さな診療所を開設したが、患者は誰も来なかった。人々は、この日本人に疑念を抱き、山崎さんのことを“鬼の子の医者”と呼んでいた。ある日、マラリアで高熱を出している患者がいることを耳にした山崎さんは、患者の家へと駆けつけ、薬だけを置いて立ち去った。病人はその後、すぐに回復。日本人医師の評判は広まった。山崎さんが、この地で診療を続けて約60年。4世代にわたって世話になった患者も多いという。診察と薬代は、200〜300円ほどという安さ。

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