

2010年8月12日
1985年8月12日午後6時56分。東京羽田発大阪伊丹行きの日本航空123便が、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。乗客乗員524人のうち、520人が死亡。生存者は4人だけだった。航空史上最悪といわれた惨劇から25年。毎年8月12日、多くの遺族が御巣鷹の尾根への慰霊登山を続けている。今年は87家族、308人の遺族が参加。この中に、事故当時まだ母親のお腹の中にいて、翌年の1月に生まれた24歳の男性の姿があった。
会社員・小澤孝之さん(当時29)は、大阪から東京へ日帰り出張の帰りに事故にあった。家で一人帰りを待っていた孝之さんの妻・紀美さんは妊娠4カ月だった。「会社に出ているよりも、出張のほうが帰りは早く、『今日も早く帰ってくるな』っていう気持ちで待っていた」と当時のことを話す。失意と悲しみを乗り越え、事故の翌年1月に秀明さんを出産。秀明さんは、誕生の翌年から毎年、紀美さんに連れられ、御巣鷹山を訪れるようになり、父親のこと、事故のことを少しずつ母親から聞いた。秀明さんは、「母親の感情は抜きにして、事実だけを年々着実に伝えてきてもらった。事故の事実はごく自然に入ってきたので、負い目に感じることはなかったし、聞かれたら『そうだよ』と言ってきた。自分からアピールすることはなかった」と話す。しかし、大学生のとき、同級生との会話で転機が訪れる。誰もが知っていたはずの未曾有航空機事故のことを知らない人がいることに驚いた。「この事故のことを誰も知らなくなるというのが怖い。自分からはこの事故は切っても切り離せないので、自分が事故のことを伝えていく義務があると思った」と話す。秀明さんは、この事故を“語り継ぐ”という覚悟を決めた。小澤さん親子は、2年前から日本航空の安全啓発センターで行われる社員研修にビデオでメッセージを提供するようになった。紀美さんは「被害者、加害者の立場はいつまでも変わらない。でも日本航空も遺族も航空安全ということに対しては同じだと思う。お互いが知恵を出し合って一つの方向に向かっていく時期だと思う」と話す。
遺族たちが結成した8・12連絡会の事務局長を務める美谷島邦子さん(63)。事故で、二男の健くん(当時9)が犠牲になった。美谷島さんは、近年、御巣鷹山を訪れる遺族たちの世代のバトンタッチを実感するという。