

2010年10月4日
ブランド米「あきたこまち」の産地で全国有数の米どころ秋田県大潟村。農家1軒あたりの耕作面積は日本一で、その広さは全国平均の10倍以上、東京ドーム3.2個分の広さだ。大潟村は、長年、生産調整いわゆる“減反”への参加率が低い自治体として知られてきたが、『戸別所得補償制度』が始まった今年、大きな異変があった。40年以上もの間、減反を拒んできた農家たちが、参加に転じるようになった。きっかけは、去年11月、赤松農林水産大臣(当時)の大潟村訪問だった。招いたのは、減反反対派のリーダー・涌井徹さん(62)。赤松大臣は、村民の前で減反政策を謝罪し、今年から始まる戸別所得補償制度への参加を呼びかけた。
これまでの減反政策では、水田全体の3分の1ほどを畑にし、小麦・大豆などに転作しなければならなかった。しかし、今回の新しい制度では、主食用の米ではない“新規需要米”や“加工用米”も転作物として認められ、減反とみなされるようになった。さらに、パンや麺の原料にもなるこれらの米は、輸入に依存する小麦などの代替品となるため、食料自給率の向上に貢献するとして、手厚い補助金が支払われる。ただし、販売先は、農家自身が見つけることが条件となっている。これまで村全体の約半数が減反に反対してきたが、今年は約85%の農家が新制度に参加することとなった。涌井さんは「米をいっぱい作ることは邪道だった。しかし、今年は『どんどん作れ』ということになった。ただ、その中で主食用の米が余っているから、『主食用以外のコメを作ってください』ということになった」と話す。
涌井さんの人生は、減反との闘いだった。1964年、国の食糧増産の掛け声のもと、日本第二の湖だった八郎潟が干拓され、大潟村が誕生した。日本の新しい農村モデルとして、全国から入植希望者が殺到。涌井さんもその一人だった。しかし、入植したその年の1970年、一転して米が余り始め、国は減反政策を開始した。干拓した農地は、畑作には不向き。借金を苦に自殺する仲間も相次いだ。そんな中、涌井さんは、減反反対派のリーダーとして、不正規流通米いわゆる“ヤミ米”の販売を始めた。国や県は、村内の道路を封鎖。ヤミ米の検問を行い、摘発を強化するなど、強硬な手段を取った。しかし、涌井さんは、そんな圧力に屈しなかった。1987年、仲間とともに「あきたこまち生産者協会」を設立。