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2011年8月8日

日系人の夢の球場“フィールドオブドリームス”

日系人の夢の球場“フィールドオブドリームス”

日本が真珠湾攻撃を行った翌年の1942年、アメリカ政府は、日系人や日本人移民を“敵国民”として迫害。約12万人近くが全米10カ所に設けられた強制収容所へと入れられた。収容所は、主に人里離れた内陸部の砂漠地帯に設けられていた。その一つ、アリゾナ州のインディアン居留地『ヒラ・リバー』。かつて、1万3000人以上の日系人を強制収容。今は面影はないが、生きる望みを決して捨てなかった男たちが作り上げた夢の球場“フィールドオブドリームス”は、砂漠の大地に永遠となって刻まれている。

カリフォルニア州に暮らしていた日系2世の銭村健三さん(84)さんは、家族4人で、ヒラ・リバー強制収容所に入れられた。日々、募りゆく絶望感のなか、健三さんの父・健一郎さんが一帯に広がる砂漠を見やり、「ここなら、きっといい野球場が作れるな」とつぶやいた。カリフォルニアで、日系2世の野球リーグを組織していた健一郎さん。アメリカ球界のスーパースター、ベーブ・ルースの来日にも尽力するなど、選手、監督としても知られていた。『野球場を作りたい』健一郎さんは、収容所の担当者に直訴。本気にされないまま、健三さんと健四さんの2人の息子と早速、球場作りをスタートさせた。しかし、そこは砂漠。まずは、至るところに転がる石を運び出し、土を慣らすことから始めた。その後は、バックネットやベンチなどを手作業で建設。深夜、監視の目を盗み、立ち入り禁止区域からこっそり木材を持ち込んだという。連日、黙々と野球場作りを続ける親子。その姿にいつしか、他の日系人たちも集まってきた。健三さんと同級生だった古川哲男さん(83)も球場作りを手伝った。「僕たち若い衆は、球場ができたら、また昔のようにベースボールができる日が来ると思って一生懸命やった」と話す。夏は40度を超える砂漠で作業に励む日系人の姿に看守も黙認していたという。強制収容された日系人の多くは、アメリカ国籍を持っていた。“ベースボールへの夢”それは、突如奪われたアメリカ市民としての生活を少しでも取り戻そうとする強い思いだったのかもしれない。

半年後の1943年3月、ついに球場は完成。観客の応援席やフェンスだけでなく、外野に芝生を植えるなど、本格的なスタジアムだった。球場は『ゼニムラフィールド』と命名。健三さんは「みんなうれしかった。

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