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2011年8月2日

東大原子力工学科1期生が語る“原子力村”

東大原子力工学科1期生が語る“原子力村”

甚大な被害をもたらした福島第一原発事故は、原子力への信頼を失わせた。しかし、かつて原子力は、資源の少ない日本にとって未来を照らす光だった。原子力発電が始まった1960年代、希望を胸にその道を歩み始めた若者たちがいた。1960年に設立された東京大学工学部原子力工学科。欧米に遅れを取っていた日本の原子力の中枢を担うエリートを養成するために作られた、いわば“国策学科”だ。安全神話はいかにして作られていったのか。東京大学工学部原子力工学科を卒業した1期生の2人が語った。

小西俊雄さん(70)が原子力技術者を志したのは、富山県で過ごした少年時代の記憶からだった。「貧しかった。そのころのことを思い出すと、電気、エネルギーを作るということに、日本に対して自分が貢献できる分野のような気がした」と話す。時代は、原子力発電の創成期。1期生のほとんどが研究所やメーカーなどに入り、原子力業界の道を進んだ。小西さんもその一人で、日立製作所に入社。高速増殖炉『もんじゅ』の設計・開発に従事、日本の原子力推進に汗を流す日々だった。しかし、50代半ばで転機が訪れる。IAEA=国際原子力機関への赴任だ。小西さんが世界の原子力のプロたちとともに働くなかで気付いたのが、日本の閉鎖性だった。「日本で私は井の中の蛙だった。もっと違う価値感覚、考え方、あるいは考えないといけない因子や文化もあると思った」と話す。IAEAにいた約8年の間、日本では原子力の事故や不祥事が相次いだ。JCOで起きた臨界事故では、ウラン化合物をバケツで取り扱うという杜撰な管理体制が問題となった。こうした事故が起きたとき、日本の原子力関係者が度々口にした言葉があったという。「『我々は違う』という言い方をよく聞いた。学ぶという習慣は、IAEAでは日常だった。学ぶというのが少し欠けている部分があったと思うと残念」と小西さんは語る。今回の事故で完全に崩壊した原子力の“安全神話”。そこにも閉鎖性の問題があったのではないかと小西さんは振り返る。「『事故は起きないはず。起きないように作ってあるから起きないはず』と言っていたのが、“はず”がなくなって、『起きない』になって、安全神話に繋がっていった。私も含め、そう思うようになったかもしれません。『起きない。起きないんだ。起きないんだから・・・』となるわけ」と話す。日本の原子力業界の閉鎖性。

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