

2011年8月4日
福島県相馬市にあるIHI相馬工場。航空機エンジンの部品を製造し、世界へ送り出している。3月11日、相馬市を襲った津波で、沿岸部は壊滅的な被害を受けた。海岸から5kmほど離れた相馬工場は、津波の被害は免れたが、地震で大きなダメージを受けた。幸い、1200人の従業員は全員無事だったものの、工場内は機械が散乱し、製造ラインは完全に止まった。ボーイング社やエアバス社製の航空機の7割が、ここで作られた部品を使用している。相馬工場の生産停止は、世界の航空業界に大打撃を与える。当初、工場の再開には半年以上かかるとみられていたが、わずか2カ月で奇跡のスピード復興を果たした。一体、なぜ早く復興できたのか。そこには、かつての社長の経営哲学があった。
IHIの前身・石川島播磨重工業でエンジニアから社長に上り詰めた叩き上げのリーダー、土光敏夫氏。戦後、日本が経済成長するには、航空機エンジンの製造が重要だと信じ、その事業への本格参入を決断した人物だ。何よりも現場が好きで、その現場から、戦後復興、高度経済成長を牽引してきた。長男の土光陽一郎さん(85)は、社長時代の父親について、「若い部下のことなどかなり細かいところまで気を使っていた。『こうしろ』と言わないで、自分なりにやらせるようにしていた」と語る。土光氏はその後、東芝の社長、経団連会長などを務め、“財界総理”と呼ばれた。そして、中曽根元総理に請われ、行財政改革で辣腕を振るう。
経団連の会長に就任し、改革を進める土光氏の秘書を務めた居林次雄さん(80)は、「経団連の正副会長が十何人も行けば必ず大宴会で、地方の知事や大会社の社長が出るのは当たり前だったが、土光さんに『一泊しない日帰りの日程を組め』と言われた。一番の飛行機で行き、最終便で帰るということを1年間続けたら、空気が変わった」と当時の様子を話す。土光氏は、徹底的に無駄を省いた。宴会をなくし、経費削減に努めた土光氏の元に、宮内庁から一通の招待状が届いた。来日したエリザベス女王の宮中晩餐会の案内だった。居林さんは、これだけは『お出になりますか』と聞いたが、土光氏は『老齢の故をもって、断ってもらいたい』と断ったという。居林さんは「天皇陛下の招待状を断ったのは、始めにも終いにもこの方ぐらい」と話す。土光氏を一躍有名にしたのは、夫人と二人、夕食にメザシを食べる姿だった。