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2011年11月30日

尖閣諸島の地主一族・元住民・漁師たちの証言

尖閣諸島の地主一族・元住民・漁師たちの証言

沖縄本島と台湾の間に浮かぶ尖閣諸島は、魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島の5つの島からなる。日本政府は、明治28年、領有権を宣言。現在も実効的支配を続けている。実は、この尖閣諸島、大正島を除く4島は個人が所有。島は、80年近くにわたって代々受け継がれている。現在、島を所有しているのは栗原家。毎年固定資産税を払い、年間約2500万円で国に貸し出している。栗原家の前に島を所有していたのは古賀家だった。尖閣の歴史は、古賀辰四郎氏から始まる。

明治18年、沖縄で海産物商店を営んでいた古賀氏は、尖閣で漁業を始め、島の開発を申し出た。明治政府は、約10年にわたり、島を調査し、他国の支配が及んでいないことを確認。日本の領土とすることを決め、古賀氏に開発の許可を与えた。古賀氏は、港湾施設やカツオ節工場、そして宿泊施設などを次々と建設。最盛期には500人が住み、一帯は“古賀村”とも呼ばれ、賑わいを見せた。しかし、太平洋戦争開戦の前に島は一時、無人島となる。かつて南小島に住み、カツオ節作りをしていた宮古島市に住む渡真利浩さん(85)は、戦後、復活したカツオ節作りについて「昔、古賀という方が作った工場を利用して、そこで製造していた」という。当時の冷蔵技術では、尖閣で獲れたカツオを宮古島まで持ち帰ることは難しく、尖閣の島で加工するしかなかった。「1日、100匹くらい獲ってくるときもある。カツオ節は一日では製品にできず、10日くらいかかる」と渡真利さんはいう。渡真利さんのほかにも20人ほどの男女が島に住み込んでいた。その多くは宮古島からの出稼ぎだった。南小島には、漁師たちが“トリシマ”と呼ぶほど、たくさんのアホウドリがいた。島は、アホウドリの繁殖地となっていた。渡真利さんは「食べるものだけは心配なかった。アホウドリの卵をとってきて食べた」と話す。尖閣でのカツオ節作りは、冷蔵技術の進歩などで次第に廃れていき、島は、再び無人島になった。

昭和43年、国連の委員会が『尖閣付近の海底に、豊富な石油資源が埋蔵されている可能性が高い』と発表。すると、台湾、そして中国が相次いで領有権を主張し始めた。高まる反日運動。そして長年にわたる領有をめぐる争いのなかで、去年、尖閣の海で、中国漁船衝突事件が起きた。中国漁船の船長が逮捕され、その後、釈放された。

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