

2011年12月12日
東京都江東区の東雲。東京湾の埋立地に高層マンションが立ち並ぶ湾岸エリアに、今年3月に完成した国家公務員宿舎『東雲住宅』がある。この36階建ての高層タワーに、現在、458世帯、1153人の被災者が暮らす。東京都が国から無償で借り上げ、主に福島第一原発周辺の被災者に部屋を提供している。浪江町から避難した佐々木トヨさん(78)は「夜になると、外はネオンでキラキラになるけど、涙が出てきて見えないの」と話す。『一体なぜ、ここにいるのだろう』。都心に避難してきた福島の被災者は今、複雑な思いを抱え、年の瀬を迎えている。
三澤宏造さん(69)は、福島第一原発から13kmの警戒区域の南相馬市小高区で飲食店を営んでいた。今は31階での生活だ。「昔は、ベランダから下をのぞくと、ムズムズして大変だったけど、今は平気」と話す。あちこちの避難所を転々としてきた三澤さん。4月にようやく、3LDKの部屋に落ち着き、家族と暮らしている。当面の期限は、入居日から2年間だ。東雲住宅に避難した多くの人の自宅は、立ち入りが制限されている警戒区域にある。浪江町から避難した坂本栄子さん(83)。9月に一時帰宅したとき、自宅の庭は、雑草に覆いつくされていた。福島第一原発から10kmの自宅周辺の放射線量は下がっていない。現在も毎時9マイクロシーベルトあり、避難の目安となる基準値をはるかに超えている。坂本さんは「頑張ってきたから、心配しなくても余生を送れると思ってきたが、こんなことになってしまって。来年は、主人の33回忌だからお参りしたいと思ったが、墓石は、ほとんど倒れているということだったので、車の中で手を合わせてきただけ」と話す。遠ざかる故郷。その絶望感は、一時帰宅した誰もが感じていた。浪江町で農業をしていた豊島力さん(76)。農作業が生きがいだった。土とともにあった生活は一変し、現在は21階で生活している。仮住まいのため、家具はほとんどない。毎年楽しみにしていた収穫の秋だが、今年は、何もできないまま、その時を迎えた。豊島さんは「収穫が終わって『今年はこれだけできた。良かった』と喜んでいた。俺は、米作りと里芋作りは誰にも負けたことがなかった。だから、できないことが情けない」という。福島とは一変、まったく土の匂いのしない、慣れない都会暮らし。故郷で隣近所だった顔見知りも、ここにはいない。