飛び出し、自ら勝プロを設立します。それまでは、競合の映画会社に所属していたため共演できなかった、石原裕次郎や三船敏郎らと夢の共演も叶うようになりました。そんな飛ぶ鳥を落とす勢いの勝さんに、さらなる吉報が舞い込んだ
鳴り止まないほどの拍手を浴びた『座頭市』で、北野監督が監督賞を受賞しました。ちなみに、ヴェネチア国際映画祭では三船敏郎さんが男優賞を受賞したことがあります。 「世界のキタノ」誕生のきっかけとなったのが、ロンドン映画祭。毎年
たというのです。 そんな黒澤の完全主義ぶりがうかがえるこんなエピソードが残っています。1957年製作の『蜘蛛巣城』で、三船敏郎演じる武将に無数の矢が浴びせられるシーン。CGなどないこの時代故、使用したのは全て本物の矢。弓道の有
れと、人物が本当に生き生きとして描かれているっていうのも。今日の特集で紹介された「蜘蛛巣城」で、主人公を演じた三船敏郎さんに矢が放たれるシーンでも、あの大量の矢が本物だったなんて。CGじゃないからこそ、三船さんの表情に
材として取り上げられ、香取編集長演じる近藤勇もさまざまな人によって演じられてきました。嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、三船敏郎、松方弘樹、渡哲也…と、大物俳優がそれぞれの近藤勇像を個性豊かに表現してきました。 「近藤勇さんは大きかっ
ちゃうわけよ。だから片一方のセットがつかえなくてさ。」 「椿三十郎」で初めて黒澤組に参加した加山雄三さんは先輩の三船敏郎さんにこっぴどく叱られました。 撮影・斉藤孝雄さん 「いわゆるパンフォーカスでライト一杯使って、時間が掛
に今日、「七人の侍」を見たという香取編集長は、「いまも十分に楽しめる!カット割りとかも、いまやってるのと変わらない。三船敏郎さんがカッコよかった。好きになりました」と大絶賛。太田さんは、「オレがさんざん言ったのに、なんで武さんが
「悪い奴ほどよく眠る」を製作。国家権力の闇を鋭く追及し、多くの批評家達に絶賛されました。そして翌61年 黒澤監督と三船敏郎が生み出した最高のキャラクターとも言われる三十郎が登場した「用心棒」が公開。斬新な娯楽時代劇とし
の俳優さんが入るとどうなるのかとかね。もちろん、木村拓哉なんでしょうけど! 勝村:僕、事前に聞かれたアンケートで「三船敏郎」って書いたら、ダメだって言われちゃったんだよ。 一同:(笑) 松:私は、こういう人たちをまとめてくれた鈴木雅之
リーダーという準主役としてスクリーンに登場した優作は、新人離れした堂々とした演技を見せ、巷では「若いころの三船敏郎のようだ・・・」とも評されました。撮影中は誰よりも先にスタジオに入り、その日の演技の稽古をこなしていたと