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その完全主義者ぶりから「天皇」とも呼ばれた映画監督・黒澤明。芸能界一の黒澤マニアを自負する爆笑問題の太田光さんをゲストに迎えてお送りした「世界のクロサワ〜初級編〜」では、黒澤監督の手がけた名作を紹介しながら、完全主義者ぶりが伺われるエピソードの数々にスポットを当てました。今回、スマステーションでは新たに黒澤組の関係者に取材を敢行。撮影現場での黒澤監督のこだわりについてうかがいました。 |
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台本に「晴れの日」と書いてあったら晴れの日以外撮影はしない――黒澤監督は脚本作りの段階で綿密にシーンを構築していったといいます。イメージどおりの天候を待つのはあたりまえ。頭の中で思い描いたシーンになるまで、役者には本番同様の衣装メイクで徹底的にリハーサルをやらせたのです。例えば、「七人の侍」で志乃と勝四郎が出会うシーンの台本のト書きには、「山つつじの花盛り」と書いてあります。スタッフは地面をつつじの花で埋め尽くすために、毎日、山で採った花を何台ものトラックで運び、スタッフ総出でそれを1本ずつ地面に植えました。しかし1日の撮影が終わると枯れてしまうので、翌日も同じことの繰り返し。結局、2週間で4tトラック15台分ものつつじを植えたそうです。
制作費26億円という当時の日本映画としては破格のスケールで撮影された1985年製作の『乱』では、御殿場の5合目に城のセットが建てられました。そこに群集が攻め入るシーンの撮影前日、黒澤はスタッフに、こう注文しました。「明日の群集は、900人」。「900人!?」。当初500人程度を予想していたスタッフは、急遽追加のエキストラをプロダクションに発注。しかしそれだけでは間に合わず、スタッフ全員の友人や親戚にも声をかけ、その日の深夜に何台もの車で、東京からエキストラをピストン輸送し、群集の数を増やしたそうです。そして迎えた撮影当日…。「監督、どうにか700人集めました。」。その返事を聞いた黒澤は「200人足りないな」と呟いてその日の撮影を中止し、帰ってしまったのです。 |
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撮影・斉藤孝雄さん
「自分でもよく言われていたけれど、『俺は完全主義者じゃないよ』って。ちゃんと当たり前に準備して、準備が出来た所で撮影に入る。これは普通のやり方なんだからね。別に完全を狙っているわけじゃない。」
俳優・井川比佐志さん
「映像作家としてひとつの作品を完成させる時に、全責任を負っているリーダーである監督がですね、最初から最後まで完璧、あるいは完全を目指すのはむしろ当たり前だと思うんですね。ただ完璧を目指しても様々な条件がありましてね。全体のお金、あるいは時間的な日数、俳優個人の事情、つまり他の仕事との関係、色んな制約がある中でひとつのことを完成させるために最善を尽くすという姿勢はね、これはむしろ本来当たり前のことだと思うんです。」
黒澤監督のこだわりは眼に見えるものばかりではありませんでした。1957年に制作された「どん底」。暗い江戸の場末の棟割り長屋に集まった生きることを諦めた面々が、まさに人生のどん底で貪欲に生き抜く姿を描いたこの作品。実はその撮影前、黒澤監督は出演者とスタッフ全員を衣裳部屋に集めました。そこで監督は、当時落語会の頂点に君臨していた古今亭志ん生をわざわざ招き、「粗忽長屋」という古典を聞かせたのです。これは、スタッフ全員に江戸時代の長屋生活の雰囲気を理解させる為だったそうです。そんな黒澤監督は、撮影技術においても作品ごとに新しい事を試みていました。
撮影・木村大作さん
「黒澤組のパーンフォーカスって言うのはさ…映画の歴史の上でパーンフォーカスを最初に使ったのは『市民ケーン』って言われてるんですよ。でも『市民ケーン』っていうのはワイドばっかりで…。やっぱり世界でも黒澤さんでしょ、あの望遠であれだけのパーンフォーカスするっていったら大変ですよ。」
【パーンフォーカス】とは、通常、カメラに映った物体は、手前にピントを合わせると奥の物体がぼやけてしまいます。かといって、奥にピントを合わせると、今度は手前の物体がボケてしまうのです。そこでパーンフォーカス技術を用いると、奥の物体と手前の物体が両方ともピントがズレずに輪郭がハッキリと映るのです。これを日本映画に最初に取り入れたのが黒澤明なのです。
撮影・斉藤孝雄さん
「黒澤さんが仰ったのは、スクリーンのどこを見ようが客の自由だ。結局、喋っている人だけ見ていても、それを聞いている人のリアクションを観る人もいる、っていうわけよね。だからそのリアクションを見たい人もいるわけだから、それをやっぱりちゃんと表現しなくちゃいけないって。だから、手前の人にも奥の人にもピントは合ってなきゃダメだ、ボケてしまうなら画面からその人物を外してしまった方がいいくらいだ、って。」
画面の手前と奥、両方にピントを合うようにするためには、絞りを出来るだけ絞り込んで、焦点深度をギリギリまで深くし、照明の光量を足して暗くなる部分を防いで撮影しなければなりません。絞れば絞るだけ画面は暗くなるため、通常の8倍の照明が必要となるのです。いまだ戦後の復興期であった当時にそれだけの照明機材をそろえる事も大変だった時代のことでした。
「七人の侍」においても日本映画としては初めての撮影方法がとられていました。
いまでは当たり前となってはいますが、『七人の侍』で黒澤の拘りから生まれた画期的な撮影方法…それは、当時、出回り始めたばかりの「望遠レンズ」を使って様々なアングルから最大で8台ものカメラで同時に撮影するという「マルチカム方式」 この画期的な撮影方法は、撮り直しのできないシーンで絶大な効果をあげ、一度に何倍もの素材が撮影できました。俳優にとっても、どこから撮られているか分からないため、全身で演技しなくてはならず、それが迫力ある映像を生むのです。このマルチカム方式は、海外でも「映画の表現方法の完璧な使用」と絶賛され、以後、黒澤映画の特徴となりました。
撮影・斉藤孝雄さん
「多重カメラっていうのは世界で黒澤さんが初めてですよ。何台もマルチカメラで撮るっていうのはね。黒澤監督の撮り方として、いわゆる昔流の、ひと言喋って『はい、カット!』またこっち行って『はい、カット!』っていうのが、ダメだって言うんだよね。気持ちがつながらない、っていうの。だからできるだけ長く回したい、っていうわけ。そこで複数カメラになってきたわけ。」
撮影・木村大作さん
「テレビの世界じゃどこもそういう風になってるけど、映画の現場でね、マルチカメラっていうのはもの凄くライティングが難しいんですよ。だって黒澤は、同時で引きと寄りをとるっていうんじゃなくて挟み撃ちにするからね。それを、ワンシーン・ワンカットで、あとで編集で換えていくんですよね。流れっていうのをもの凄い大事にする人だから。」
更に黒澤組の撮影の特徴は「望遠レンズの多用」。役者のアップであろうとルーズショットであろうと、とにかく望遠レンズを使っていたのです。「アップを撮る為のカメラが役者の近くにいては役者はどうしてもカメラを意識する。そうするとそのサイズだけの芝居になってしまう」という理由からでした。
俳優・井川さん
「だから被写体との距離が相当離れているわけですね。普通、たまには1台という時もありますが、2台、大勢の時には3台のカメラが同時に回っているわけですから、あそことあそことあそこ、というのは現場に行けば分かるんですけど、カメラを意識するということはほとんどないんですよ。だから動きによっては後ろ向いちゃったり、人の陰になったり、横向きになったりという事はあり得るんですが、そんな事はほとんど意識外ですね。」
「椿三十郎」での茶室のシーン。黒澤はこの狭い茶室のシーンにも望遠レンズを使っていました。実は、通常遠距離のものを拡大撮影するために用いるこの望遠レンズを黒澤監督はその場所を狭く見せる為に使ったそうです。
普通の撮影の8倍は照明がかかるパーンフォーカス技法。しかも望遠レンズによるマルチカメラ方式なのでカメラの台数分、それぞれの方向から照明が必要となります。そのため黒澤組が撮影に入ると他の組は撮影を休まざるを得ませんでした。
撮影・斉藤孝雄さん
「東宝のセットでね、第八、第九って大きなステージがふたつあるわけ。そこに黒澤組が入ると、両方の電源を使っちゃうわけよ。だから片一方のセットがつかえなくてさ。」
「椿三十郎」で初めて黒澤組に参加した加山雄三さんは先輩の三船敏郎さんにこっぴどく叱られました。
撮影・斉藤孝雄さん
「いわゆるパンフォーカスでライト一杯使って、時間が掛かるでしょ、ライティングに。そうしたら加山がね、三船さんに『三船さん、この組はどうしてこんなに遅いんですか?』って。そうしたら『バカヤロー!』って怒ってね。『役者は待つのが商売だ、ブツブツ言うんじゃない』って。そりゃもう一喝ですよ。大先輩に怒られちゃ、どうしようもないもんね。」
黒澤監督は録音・音響技術においても新しい試みをしています。「蜘蛛の巣城」の有名な弓矢のシーンでは、あるモノを刺した音で、人の首に矢が刺さった音をつけました。
音響・三縄一郎さん
「あれは夏みかんをナイフで刺した音なんです。あれを誇張して使ってるんですよ。『用心棒』で、斬る音を黒澤さんに頼まれて付けたんですが、 あれが最初なんですね。いまでも時代劇の斬殺音をつけてますが、あれは、黒澤さんの『用心棒』が 最初なんですよ。当時は、斬殺音っていうのを使ってないんですよね、映画では。でも(黒澤監督は)『人を斬れば音するでしょ?』って。」
「七人の侍」で、馬が嘶くシーン。実際の滑走シーンや戦闘シーンでは、馬は中々嘶きをしません。この馬の嘶きを録音する為に音響の三縄さんはどうしたのでしょうか?
音響・三縄一郎さん
「盛りがついた馬って凄いんですよ。そういう馬をつないでおいて、そこに雄馬を連れて行くと、発情して『ヒヒーン』って声を出すんですよ。それはもう凄いんですよね。戦闘の時に使っているのは、全部その音なんですよ。」
「七人の侍」では百姓の衣装にも大変な拘りがありました。出来上がった衣装をいったん土に埋め、何日かして取り出した後、それをタワシでこすって、よれよれにして古びた感じを出したのです。さらに日常生活でどこが磨り減るかをリアルに再現するため、スタッフに一枚ずつ渡し、家ではその衣装を着て生活するように指示しました。考えられるだけの工夫を凝らし、決して手を抜かない――黒澤映画ではそれが徹底されていたのです。
映画を愛し、まさに映画のために生きた黒澤明。彼が生み出した全30作品はいまも世界中で愛され、世界で映画監督を目指す者たちのバイブルとなっています。晩年に撮った「八月のラプソティー」の会見で黒澤監督はこう語りました。
「僕は映画を作りたいんですよ 美しい映画を…。映画っていうのはスクリーンを通して世界中の人たちが、そこに出てきた人たちと一緒に生きて、一緒に苦しんだり一緒に悲しんだり、お互いに理解するという特別な機能を持っている。それが映画の素晴らしいところでね。そのためには映画の美しさっていうものを通して、皆に理解してもらわなきゃならない。美というのは世界中同じに感じるもで、その美しさから心が通じ合う…理解してもらえればね。そういうものを僕は作りたいんですよ。」
世界に誇る映画監督・黒澤明。その伝説はなおも尽きることがありません。次回、黒澤特集第3弾では、「素晴らしい脚本は書けてもラブレターは苦手だった?!」「スランプによる自殺未遂」「ハリウッド映画降板の裏側」などなど、黒澤伝説完結編をお送りします。 |