大越健介の報ステ後記

脱・その3
2022年01月16日

オミクロン株の急拡大で、全くもって息苦しい思いをしている。
あくまで精神的に、である。肉体的に息苦しければすぐに検査を受けなければならない。感染なんてしたくない。しかし、社会には心ならずも感染してしまう人が毎日うなぎのぼりだし、濃厚接触者の数となるともう想像もつかない。そうした人たちの心痛を思うと切ないし、そうした人たちが療養や待機することによる社会のダメージを考えると気が気ではない。

しばしの間、現実から逃れたい。ということで今回は究極のテーマ、「脱・リアル」である。舞台はITによって作り出された3次元の仮想空間「メタバース」だ。みなさん、超(meta)宇宙(universe)の空間へようこそ!
と、ここまで書いたところで、このコラムの奇特な読者、特に僕と同年配の皆さんのかなりの人が、これ以上読み進めるのを放棄してしまうのではと心配だ。でも、もう少しお付き合いください。コラムを読み終えるころには、きっと皆さんはメタバースの虜。すぐにでも大きなゴーグルをつけてあんなことをしたりこんなところに行ってみたりしたくなるはずだ。自信ないけど。

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中途半端な知識で説明を試みるよりも、実際に体験したことを話す方が手っ取り早い。
僕にとってのメタバースの入り口は神奈川県川崎市のある住宅だった。おっと、そんなリアルはこの際関係ないのだった。
ヘッドセット(大きめのスキーのゴーグルのようなものである)をつけてパソコンをちょこちょこっと操作(人がやってくれた)すれば、そこは別世界である。僕をその場所にいざなってくれたのはその家に住む30代男性だ。いやいや、この人の現世の属性など関係ないのだ。メタバース空間では彼は銀鮭(ぎんじゃけ※読み注意)という名のキラキラのイケメンである。その世界に入り込んだ僕もついでに未来のコスチュームに身を包んだカッコいい若者になっている。名前は銀鮭の向こうを張って紅鮭(べにじゃけ※読み注意)にしたいと提案しようとしたが、ややこしいのでやめた。

さてご同輩、ここまでご理解いただけただろうか。
銀鮭とか紅鮭?というのは仮想空間の中でのキャラクターだが、自分の分身である。分身でも自分であることに変わりはないから、自分の意思で動き、他者と遊んだりまじめに議論したり、ついでに仕事もできる。つまりもうひとりの自分として振る舞うことができるのだ。ちなみにその分身をアバターという。
どうです、だんだん面白くなってきたでしょう?えっ、わかんないって?

実は、これがかなり面白いのである。仮想空間上の僕はまさに宇宙空間に立っていた。足元が実に心もとなく感じる。技術の進歩によって、「宇宙空間に立つ」というおぼつかない三次元の感覚を、かなり実感をもって味わうことができるのだ。

ただ浮かんでいるのももったいないので、一緒に野球をすることになった。
これでも僕は神宮で鳴らした大学野球の元選手である。分身になっても野球はやめないのだ。すると銀鮭さんは、仮想空間上の友人である(ごめんなさい。名前忘れた)と相談して、バットとボールを取り出し、僕にバットを手渡してくれた。その友人が投げるボールを狙って思い切りバットを振る。空振りである。こうなるとムキになる。何球か投げてもらってようやくセンター方向にクリーンヒットを放つことができた。どんなもんだ。
実はこれ、手もとのボタンやレバーを動かしているのではなく、僕が実際にバットを振る動作をしている。リアルな自分の動作がアバターの動作に反映される仕組みになっているのだ。だから、ようやくヒットを打ったころにはもう身体に汗をかいていた。

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疲れを癒してあげましょうと、銀鮭さんは僕を和風旅館に案内してくれた。部屋には畳があり、ふすまがあり、机の上にはお茶のセットもある。どうぞくつろいでくださいと言われ、ふと見ると布団が敷いてある。そこに横たわると「ふあ~」と思わず声が漏れてしまった。本当に寝そうだ。
リアルな方の僕はというと、川崎市在住の30代男性の決して広くない部屋の板の間で、芋虫のように寝転がって「ふあ~」とか「ほあ~」とかうなっている。この光景はリアルにテレビ朝日のカメラマンによって撮影されたのだが、我ながらシュールである。
どうでしょうご同輩、ここまで読んでいただければ、メタバースの面白さを共有していただけたのではないでしょうか。

1時間近くメタバースの世界で遊び、ヘッドセットを外して現実の世界に舞い戻った。銀鮭さん、いや川崎市在住の30代男性がそこにいる。
「本当のリアルってどっちなんでしょうね」と彼は謎めいたことをつぶやいた。
「メタバースの世界では、リアルの世界での肩書やステイタスは関係ありません。ただの自分として他者と関わり、生きていくことができます」。

なるほど確かにそうだ。リアルな世界でいえば僕はニュースキャスターという少し派手な仕事をしている男であり、この世のしがらみに人並みに悩み、妻には頭が上がらない60歳のおっさんである。ゴテゴテといろいろな記号がくっついた存在だ。
しかし仮想空間上の僕は、そうしたすべての記号をひっくるめた、あるいは超えたシンプルな自分自身であり、紅鮭?である。人と関わりたければ仮想空間上を自由に行き来できる。ガソリン車のエンジンをふかしてCO2をまき散らす恐れもない。人と意見がぶつかることがあっても、そこは分身同士、しがらみなくお別れすればいいだけの話だ。

とすれば、いったいどちらが人間らしいのだろう。
それは僕にはわからない。しかし遠くない将来、人間はリアルと、もうひとつのリアルを行き来する存在になっているのだろう。それは嫌だという人もいるだろうし、いくつものリアルを自在に飛び回る人も当たり前に現れそうだ。
そのときまで自分が生きているかどうかは分からない。だからその世界は若い人たちにお任せします、私はご免ですよと、僕の同年代の人たちは考えていらっしゃるのではないか。妻の反応は明らかにそうだった。
しかし、その入り口にすでに立っているのは間違いないわけで、ならば食わず嫌いになるよりは、おっかなびっくりメタバースなる未知の世界に足を踏み入れてみるのは損ではない。

いいぞ、メタバースの新しいリアル。すっかり気に入ってしまった。
僕の不思議な体験リポートは特集として報道ステーションで放送された。ところが翌日、番組視聴率の一覧を見ると、どうも数字は芳しくない。
そこにも受け止めるべきリアルがあった。
しかしめげることなく、僕は僕なりのリアルを追求するのだ。

(2022年1月16日)

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