浪花節でしか語れない
2022年02月06日

出る杭は打たれる、とよく言う。
逆に、いっそのこと出すぎてしまえば打たれないのではないかと、僕は思うことがある。そういう人生に憧れるのだが、凡人なのでしょせん無理だろうと諦めてもいる。

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石原慎太郎氏(享年89歳)は、その才覚と行動力で、始終波風を立て、スポットライトを浴びる人だった。
一橋大学在学中に発表した小説「太陽の季節」が一世を風靡したことは有名だ。訃報に接し、新潮文庫版を再読してみた。派手なスポーツカーが疾走するような小説だと感じた。暴力的なほど奔放だ。だが、過ぎていく景色はどぎついようでいて寒々しい。痛くて悲しい小説でもある。
文芸評論家の奥野健男氏による解説(昭和32年)には、戦後10年余りを経て消費社会の退廃を臭わせ始めた時代背景と絡めて、こう記されている。
「人々は漠然と、何かショッキングなものを待望していたのだ。『太陽の季節』は、その充分に用意された土壌に、おあつらえ向きに登場した。(中略)『太陽の季節』は、大人たちからは、ひんしゅくと好奇心で、同時代の青年たちからは、共感と羨望で迎えられた」。

僕が初めて石原氏を見たのは、平成元年の自民党総裁選挙だった。NHK記者として、岡山から東京政治部に異動してきたばかりのときだ。政治とカネの問題で世間の不信を買っていた自民党は、最大派閥の竹下派がクリーンなイメージのある海部氏を擁立し、党への逆風をかわそうとしていた。
そこに敢然と挑むようにして立候補したのが当時、自民党の衆議院議員を務めていた石原氏だった。当時すでに「タカ派」の象徴的存在。しかし、両院議員総会で行われた投票の結果は、勝利した海部氏の279票に対して石原氏はわずか48票。派閥の論理が支配する自民党にあっては、ほぼ賑やかしに近い存在だったが、「出る杭」は、確かに目立っていた。

政治を長いこと取材してきたこともあって、石原氏死去の一報が入った直後、報道ステーションの担当デスクから「ゆかりの政治家で、誰かインタビューしたい人がいたら挙げてほしい」と問い合わせがあった。僕はすかさず野田佳彦元首相の名前を出した。
理由は尖閣諸島の国有化の騒動が強く印象に残っていたからだ。
中国が尖閣諸島の領有権を主張し、領海侵犯を繰り返していたことに対し、東京都知事だった石原氏は猛烈に憤っていた。そして、私有地だったこの地を東京都が買い取るべく行動に出た。港湾などの施設を建設し、日本の有効支配を明確にしようというものだった。

中国はこれに反発した。困ったのが当時の野田内閣だ。そして、おそらくはより穏便に事を収めようと、石原氏には前面から退場を願い、島を「国有化」することを決めた。これに対し中国は、日本の足元を見るかのように反日の姿勢をさらにエスカレートさせ、中国各地でデモ隊が暴徒化した。
都知事でありながら「出る杭」となって日中関係を揺るがした石原氏の言動を、時の首相だった野田氏はどう振り返るのか。僕はそこに関心があった。

だがデスクの判断は、僕に「亀井静香氏にインタビューしてほしい」というものだった。なるほど、と思った。
のちに自民党の政調会長を務め、実力者にのし上がった亀井氏は、平成元年の自民党総裁選で石原氏の推薦人になった一人である。国を憂い、時流に逆らう気概を持つという点で共通していた。個人的な親交も深く、石原氏の盟友と言えた。

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東京・四谷にある亀井氏の事務所。夕刻、石原家への弔問から帰ったその足で、亀井氏はインタビューに応じてくれた。政界引退からもうずいぶんと経つが、85歳となった亀井氏は、ベテラン記者にはおなじみのダミ声で、こう切り出した。
「いい顔をしていたよ。でもオレはさ、『バカヤロウ』って言ってやったんだ」。
まだやりたいことはあったはずなのに、早すぎると言う。
「『太陽の季節』なんて変な小説書いてさ。それを言うと『お前に文学の何が分かる!』なんて本気で怒るんだよな」。
老友の死を悼みつつ、浪花節でも聴かせるようにして亀井氏は語り続けた。
「彼にとっての政治とは、文人としての石原慎太郎の延長線上にある」。

尖閣諸島問題をはじめ、石原氏がしばし物議をかもした政治行動についても聞こうと思ったが、無粋なのでやめた。尖閣諸島が重要なテーマであることに論を待たないが、それとて、考えてみれば石原氏の人生の中ではひとつのピースに過ぎない。
そして、小説家である石原氏と、政治家としての石原氏を切り分けて考えるのも無理がある。亀井氏が絞り出してくれた最後の一言がすべてを言い表しているように思えた。

亀井氏のインタビューは、この日の「報道ステーション」で20分余りをかけて伝えた、石原氏死去のニュースの最後を飾った。
訃報をどう構成するかはいつも悩ましい。人生の歩みの中で、その時その時の言動を振り返ることはもちろん大事だが、それは人の一生を時間で輪切りする、いわば横糸の作業である。長い時間軸で彼の人生の歩みを知る縦糸が加われば、ニュースを立体的に伝えることができる。
その意味で、血気盛んな若手のころから石原氏を知る亀井氏のインタビューには、縦糸としての重みがあった。それは理屈ではなく、浪花節でしか語れない何かである。

石原慎太郎という人をどう評価するか。それは視聴者ひとりひとりの判断だ。だが、出る杭は打たれても、出すぎる杭は打たれない。そんな生き方を貫いた人であることは間違いなさそうだ。
やはり、非凡な人である。

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