

2010年12月7日
1980年12月8日の夜。アメリカ・ニューヨークのダコタハウス前で、狂信的なファンの凶弾に倒れたジョン・レノン(享年40)。あれから30年が経った。ジョンの愛した2つの故郷を取材した。
1975年、オノ・ヨーコさんとの間に息子ショーンが生まれたのをきっかけに、音楽活動を休止し、主夫業に専念したジョン。この頃、たびたび日本を訪れていた。小さい頃から絵を描くのが好きだったというジョンは、たくさんのイラストを残している。イラストとともにローマ字で書かれた日本語。OKAGESAMADE、WABI、SABI、AMAI、OSHINOBI、SHINU、IKIRU、ODAIJINI。まるで単語帳のようだ。彼の目に、日本はどのように映っていたのだろうか。妻のオノ・ヨーコさん(77)は、「『侘びと寂びとどう違うんだ』とか、色々私に聞いてきた。妻が日本人で息子のショーンが半分日本人なので、日本の文化を自分の文化のように思っていた。彼は日本食がすごく好きだった。納豆が好きだった。納豆が好きな外国人なんてあまりいないので、自分はすごく日本的なんだと、とても誇りに思っていたみたいだった」と話す。軽井沢では、毎日和やかな気持ちで、自転車に乗って散策したりして楽しんだという。ジョンが時折立ち寄った喫茶店・離山房。店主の槙野あさ子さん(83)は、「スターという気配は感じられない、“普通のやさしいお父さん”というのが私の印象でした」と話す。店内には、ジョンが描いたイラストが飾られている。「一筆書きというように、さらさらと描いて、オノさんが“夢を持とう、小野洋子”と日本語で書かれて。あーと思っている間にできました」という。1977年の夏、ジョンは1カ月間、万平ホテルで過ごした。ヨーコさんは、このとき、万平ホテルの専務・佐藤泰春さん(76)に『彼は将来、音楽活動をやめた時に、軽井沢を第二の故郷にしたいらしいわよ』と話したという。佐藤さんは、「遠くから二人を見ていた。物思いにふけっていて、故郷のどこかを思い出したような感じだった」と話す。
ジョンが生まれたのは、イギリス北西部の港町・リバプール。1940年、第二次世界大戦が始まっていた。幼い頃に両親が離婚したジョンは、母親の姉夫婦と暮らしていた。リバプールの郊外に、その家がまだ残っている。2階の小さな部屋。ここでジョンは少年時代を過ごした。