

2012年7月17日
福島第一原発事故に関する国会の事故調査委員会が出した報告書を検証する。原発事故を受けて、周辺では住民の避難で大混乱していた。2011年3月11日、午後9時23分。政府は、福島第一原発から半径3km圏内に避難指示を出した。避難区域は、10km、20kmへと円心状に拡大していき、それに合わせて何度も避難先を変えた住民もいた。国会事故調が行った住民アンケートでは、浪江町住民の約30%が、6回以上避難場所を変えていたことが明らかになった。浪江町の漁師・山形武士さん(69)は、これまでに7回、避難場所を変えた。現在は、二本松市の仮設住宅に住んでいる。山形さんは「どこに逃げても恐怖は消えなかった。国がどんな考えをしているのか、本当に不安」と話す。
政府が決めた避難区域のうち、10kmから20km圏内は、防災訓練などでも想定されていない範囲だった。国会事故調は、この“20km”が何を根拠に設定されたかに注目した。国会事故調の櫻井政史委員(元名古屋高検検事長)は、この点について、事故調査委員会で繰り返し質問していた。これに対し、菅前総理は「専門家の意見を聞いて20km圏内に拡大した」と述べた。当時の菅総理の周りにいた専門家は限られている。原子力安全委員会の斑目春樹委員長や東京電力の武黒一郎元副社長などだ。避難区域が決められたのは、菅総理のいた総理官邸の5階だった。武黒氏は、事故調査委員会で「避難の議論は、総理や総理の周りにいた人、それから斑目委員長との間でされていて、私から積極的に言うことはなかった」と話した。ところが、名前の出た斑目氏は「住民避難の話は、私がしたかどうかは本当にわからない形で行われた」と発言。そして、当時の枝野官房長官は「なぜ、15kmあるいは30kmではないのかということについて、私自身、誰から話を聞いたという記憶はない」と述べた。15万人の住民が避難を強いられたにもかかわらず、当事者の記憶はあいまいだ。櫻井氏は「いろんな資料を検討し、考えたうえでの判断であるならば、記憶は残るはず。そうではなくて、判断根拠、資料を検討したものではない」と指摘する。避難指示を決めのるに必要なのは、原子炉の状態、放射線量の観測データ、それにSPEEDIを使った放射性物質の拡散予測や風向きなどだ。
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