

2013年4月25日
1952年4月28日は、吉田総理が調印したサンフランシスコ講和条約が発効した日だ。これにより、日本は主権を回復。7年に及ぶ連合国の占領から独立を果たし、国際社会に復帰した。それから61年。政府は先月、4月28日を『主権回復の日』と定め、政府主催の記念式典を初めて開催すると閣議決定した。政府は、今回の式典の開催理由として、『完全な主権の回復』を挙げている。しかし、沖縄にとって、4月28日は、また別の意味がある。沖縄県民は、この日を“屈辱の日”と呼ぶ。沖縄にとって、1952年4月28日は、本土から分離され、アメリカの施政権下に入った日を意味する。住民を巻き込んでの激しい地上戦が繰り広げられた沖縄。14〜17歳の中学生らは、“鉄血勤皇隊“として動員され、半数の約890人が死亡したといわれている。生き残った神谷依信さん(84)。自決の覚悟までして戦った沖縄戦で、戦友だけでなく、父と妹、弟も失った。そして迎えた1952年4月28日。神谷さんは「沖縄県民は相当な犠牲を出し、軍にも協力してやってきたのに、何で切り離すんだと。涙も出るぐらいの悔しさだった」と話す。奄美群島、小笠原諸島に続き、沖縄がようやく日本に復帰したのは、1972年5月15日。しかし、その後も重い基地負担は残り、日米地位協定の下、アメリカ軍の事件・事故に苦しめられている。沖縄県では、28日の主権回復記念式典に合わせて、抗議集会を開催する。沖縄県の仲井真知事は式典には出席せず、副知事が代理で出席する。自治体の不参加は沖縄だけではない。全国21の府県(報道ステーション調べ)は、公務などの理由で、代理の出席を立てるという。こうしたなかで、政府が式典開催にこだわるのには、もう一つの理由も垣間見える。安倍総理が強い意欲を見せる“憲法改正”につながるという。自民党の重鎮議員は「『なぜ戦争を始め、どうして敗れたのか。占領期にどういう政治が行われたのか』それを総括することは、まさに憲法改正の議論のスタートになる」と話す。2011年2月に設立した“4月28日を主権回復記念日にする議員連盟”の設立趣意書にも『主権回復した際に、本来なら直ちに自主憲法の制定と国防軍の創設は、主権国家として最優先手順であった』と書かれている。
また、式典には、天皇皇后両陛下の臨席が閣議決定されている。しかし、この点が、今後、問題となる可能性もある。
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