

2013年8月12日
東北三大祭りの一つ、青森ねぶた祭。今年は、6日間で300万人の人々が集まり、22台の山車が出陣した。この山車を作っているのが“ねぶた師”と呼ばれる職人たち。去年、300年の歴史を誇る青森ねぶたで、初の女性ねぶた師が誕生した。北村麻子さん(30)は、どうやってねぶた師になれたのか。
高さ3mのねぶたには、設計図はなく、元になるのは、寸法など一切書かれてない下絵だ。平面図から針金と木材で立体化していく。できた骨組みに和紙を貼り、墨で線を書き入れ、色を塗って完成する。ねぶた制作は1年がかりの大仕事だ。女性には慣れない大工仕事、針金でできた生傷は絶えない。しかし、これまで女性のねぶた師が誕生しなかったのは、作業の過酷さだけではない。
1982年、ねぶた師の一家に生まれた北村さん。父親の隆さん(65)は、歴代6人しかいない“名人”の称号を持つねぶた師だ。しかし、北村さんは、“ねぶた独特の荒々しさや迫力を女性が表現するのは難しい。ねぶたは男の世界”という習わしのため、ねぶた制作の作業現場には、足を踏み入れさせてもらえなかった。そのため、ねぶたとは縁遠い生活を送っていた。高校卒業後は、職を転々としていた。北村さんの転機は24歳のとき。そのころ、隆さんは、不景気のあおりで、ねぶた廃業の危機を向かえるも、乗り越え、頑張っていた。そのとき隆さんが作った『聖人聖徳太子』が、2007年の“ねぶた大賞”に選ばれた。北村さんは、「どん底まで落ちた人間が這い上がってきた姿を見て、ここまで父が守ってきた技術、ねぶたに対する情熱を受け継ぎたいと強く感じた」と話す。初めてやりがいを見つけた北村さん。隆さんたちの作業するねぶた小屋に通い始めたが、そこには、“女性への壁”が立ちはだかる。隆さんも、その弟子たちも、北村さんに技術を教えることは一切なかった。北村さんは「『何で私には教えてくれないのか』という焦りや苛立ちがあった」と話す。焦りと苛立ちに耐えること実に3年間。そんななか、北村さんは、隆さんが弟子に教えているのを盗み聞きし、技術を覚えていった。「本当にやりたかった。やりたいという気持ちが強かったので、何が何でも覚えようと思った」という。
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