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SmaSTATION-5特別企画『宝塚歌劇団・第2弾〜初公開・夢の世界の舞台裏!! 阪神大震災からの奇跡の復興〜』
映像・資料提供
©宝塚歌劇団
(株)宝塚クリエイティブアーツ
(財)阪急学園 池田文庫
1914年・大正3年、日本がようやく近代国家へと歩みつつあったこの時期に、大阪の中心地・梅田から少し離れた山間の温泉地にひとつの劇団が産声をあげました。後に日本を代表するエンターテイメント集団となる『宝塚歌劇団』です。ことし創設92年を迎え、その歴史と規模は世界でも類を見ない存在であるこの宝塚歌劇団に、危機が訪れました。1995年1月17日の阪神淡路大震災です。甚大な被害をもたらしたこの大災害により存続の危機を迎えた宝塚を救ったのは、熱い情熱と強い絆で結ばれたタカラジェンヌたちでした。そんな彼女たちと、それを支えた数多くの人々の知られざる物語にスポットを当てるとともに、これまで明かされることのなかった宝塚の舞台裏にも完全密着しました。
常に新しい舞台を提供し続ける――宝塚の演劇哲学

宝塚歌劇団――女性だけのレビュー劇団、というイメージのこの劇団ですが、実は世界でも非常に珍しいある独自の演劇哲学を掲げていることはあまり知られていません。それは「新作主義」。つまり、毎回毎回、常に新しい作品を演じ続けるのです。例えばブロードウェイなどでは、人気作品が誕生すると、人気が落ちるまで、長い期間にわたり同じ演目を上演するのが常識。これがいわゆる「ロングラン」です。ロングランを行うことで、安定した集客を維持するとともに、コストを削減する事ができるのです。しかし、宝塚歌劇では「再演」はあっても、いわゆる「ロングラン」は行いません。「常に新しい舞台を提供し続ける」ことこそが宝塚歌劇のこだわりであり、90年以上に渡ってその活力を維持し続けてきた一因でもあるのです。

そんな宝塚では、先日お伝えした「ベルサイユのばら」の他にも、「オクラホマ!」、「風と共に去りぬ」、「ウエストサイド物語」など、歴史を超えて語りつがれる名作や、日本の演劇史上に残る話題作を数多く上演しています。ウィーンで初演され大ヒットを記録した作品をリメイクしたのが「エリザベート」。黄泉の国の帝王・トートと、そのトートに魅入られたオーストリア皇后・エリザベートとの退廃的な愛を描いた作品。ウィーン版では主役がエリザベートだったのに対し、1996年に初演された宝塚版「エリザベート」では、死神トートが主役。この思い切ったリメイクにより、妖艶な雰囲気が一層増し、原作を超える舞台となった、と絶賛されました。

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」を舞台化した「ファントム」。オペラ座にひそむ“仮面の怪人”ファントムの人間性やその葛藤を深く掘り下げ、批評家から絶賛されたこの作品。迫力あふれるオーケストラと、宝塚ならではの可憐さが独特の世界観を生み出し、傑作と評される作品で、ことし6月には花組による再演も予定されています。

世界的オペラ「アイーダ」を舞台化した「王家に捧ぐ歌」。「歌劇王」と称された19世紀の天才作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディが作曲した「アイーダ」の宝塚版として舞台化されたこの作品。エジプトとエチオピアという2つの国に引き裂かれた男女の悲恋を軸に、世界平和を訴えかけた壮大なストーリーは多くの人々から喝采を浴びました。2003年には文化庁が選出している「芸術祭・演劇部門」で優秀賞を受賞するなど、近年の宝塚を代表する作品のひとつでもあります。

一方、宝塚は歴史的な古典名作も数多く舞台化しています。あのウィリアム・シェークスピアの「ジュリアス・シーザー」を題材にしたのが「暁のローマ」。ローマ帝国を舞台に、「ブルータス、お前もか」で知られる、将軍カエサルとブルータスの争いや、その周囲の人々の生き様を描いたこの舞台。古典的と思われがちな作品ですが、宝塚版で流れる音楽はなんと「ロック」。シェークスピアの世界観と現代的な音楽の融合が高い評価を得ています。この作品も現在、月組による公演が行われています。

宝塚歌劇のもうひとつの魅力とも言えるのが「和物」。その代表的作品とされているのが「源氏物語」です。華麗な衣装と優雅な日本舞踊の舞が、まさに圧巻のこの作品は、1952年、花組によって初演され、主人公・光源氏を春日野八千代さんが、可憐な紫の上を八千草薫さんが演じています。その後も、度々再演され、2000年には大和和紀(やまとわき)原作の人気漫画「源氏物語・あさきゆめみし」も舞台化。和物でありながら金髪の人物が登場するなど、画期的な演出が話題を呼びました。

さらにこんな意外な人物が作曲した作品もあります。ギリシャ神話をモチーフにした華やかなレビューショー「TAKARAZUKA舞夢!」。楽曲を提供したのは、元X JAPANのYOSHIKIさん。一見、意外な組み合わせですが、ファンからは「宝塚の新たな一面が表現された」と好評を博しました。ほかにも松任谷由美さん、河村隆一さんら、名だたるトップミュージシャンが楽曲を提供したこともあります。

そして今夜のゲスト、真矢みきさんの代表作のひとつが「硬派・坂本竜馬!」。維新を夢見て、幕末の日本を走り抜けた坂本竜馬の生涯と、それに関わる人々の様子を軽やかに描いた群像劇です。竜馬役を演じた真矢さんはそのスケールの大きな演技で多くのファンを虜にするなど、まさに「はまり役」でした。専門家からも高い評価を得た作品で、今年11月には10年ぶりの再演も決定しています。

古典から現代劇、そしてヨーロッパからブロードウェイ、時には日本古来の作品まで、時代や場所を超え、様々な舞台を演じ続けてきた宝塚歌劇。その舞台は、第1部、第2部に分かれる二部構成で、歌舞伎のように幕間と呼ばれる休憩時間が設けられています。第1部は芝居、第2部はレヴューというのが一般的な構成で、ショーでは、数10名が横一線に並ぶ華麗な「ラインダンス」などを披露。また舞台の最後には、26段の大階段を出演者全員でおりてくる「フィナーレ」が行われ、その最後に最も大きな羽飾りをつけて降りてくるのが男役トップスター。これこそがスターの証なのです。

さらに宝塚では、ファンが特に注目する特別な公演が開かれることもあります。7年目までの下級生のみが出演する「新人公演」。新たにトップスターが就任した際の「お披露目公演」。そしてファンにとっても大きな意味を持つ「サヨナラ公演」。これは文字通り、トップスターが引退する際の最終公演のことで、宝塚ファンにとっては一大イベント。現在は宙組トップ・和央ようかさんのサヨナラ公演「NEVER CAN SAY GOODBYE」が行われ、連日多くのファンが詰め掛けています。

そんな「サヨナラ公演」の中でも一際注目されたケースが、1998年の花組・真矢みきさん。劇場でのサヨナラ公演とは別に、宝塚史上初の日本武道館でのコンサートが行われたのです。日本武道館のような大規模なホールでステージを行うのは、宝塚としては極めて異例。しかし「スターの素に近い姿が見られる」とファンからは好評で、これを機に、多くのトップスターらがコンサートを開いています。

宝塚の舞台を支えるスタッフたち

熱烈なファンを持つ宝塚歌劇ですが、その観劇にはいくつかのマナーも存在します。上演中の私語や飲食はもちろん禁止。しかし意外にも上演前や幕間の休憩時間であれば、観客席で飲食してもOK! 舞台公演中に出演者に向かってかけ声をかけるのはNG。創設初期には歌舞伎の「大向こう」のような掛け声が上がったそうですが、過熱しすぎたため禁止に。現在は、クライマックスなどの盛り上がった部分になると、会場から大きな拍手が鳴り響きます。が、時には拍手が鳴り止まず、次のシーンへ進めない、などということも。

そんな華やかな宝塚の舞台を支えているのは、もちろん出演者だけではありません。大道具や小道具、衣装など、およそ130人の制作スタッフが、縁の下の力持ちとして、公演を支えているのです。今回スマステーションでは、滅多に見ることができない「夢の世界」の舞台裏とそれを支える人々を取材しました。

まずは「大道具」。舞台上の基本的な骨組みを作り出すのが、大道具スタッフの役割。設計図を描き、舞台の基礎となる臨場感あふれるセットを作り出していくのです。

あの大階段なども大道具のテリトリー。そして、宝塚の見せ場である、場面の早代わりを可能にしているのが、直径およそ15メートルもある回り舞台。このシステムを使うことで、どんな場面転換でも1分あれば必ず完成できるといいます。宝塚が世界に誇る技術のひとつです。

続いて「小道具」。刀やグラスなど、キャストが手に持つような小さいものから、細かい装飾が必要とされるセットをそろえるのが小道具の仕事。家具のセットなどは、観客から見えない裏側にも装飾が施されています。その仕事ぶりはまさしく職人技。小道具の作業場には色とりどりのペンキや、きらびやかなテープなどが並び、「ここで作れないものはない」と言われるほど。

そして、宝塚ならではの豪華絢爛な世界を作り出しているのが「衣装」。華麗な衣装のデザインは専属デザイナーによるオリジナル。更に、これまでにコシノヒロコや高田賢三といった、著名なデザイナーが手がけたこともありました。こうしたデザインを元に、生徒ひとりひとりの体型に合わせた大量の衣装が、およそ50人の縫製員によって手作りされていくのです。縫製部の倉庫には宝塚歌劇の象徴ともいえるスパンコールが、数百種類、靴も常時50色以上、数百足が用意されています。また宝塚ならではの衣装が、フィナーレで使用される羽飾り。現在はダチョウの羽などが使用され、その縫製方法はなんと門外不出!1回の公演で作られる衣装は、実に400着にも及ぶそうです。

ステージ上の出演者に当たるスポットライトから、セットの電飾までを一手に仕切るのが「照明」。宝塚の照明の最大の特徴とも言えるのが、「バックハンドル」と呼ばれるピンスポットライト。このスポットライトは、宝塚だけの特注品で、「ステージ上を最も明るく照らすこと」ができるといわれています。このライトを熟練の照明マンたちがたくみに操ることで、まさに「輝かしい」ステージを作り出しているのです。

「タカラヅカの灯を消すな」阪神・淡路大震災からの復興

1914年、「阪急電鉄の父」小林一三が創設した少女歌劇を前身とし、創設以来、常に観客を魅了し続けてきたその華やかな舞台。第二次世界大戦という荒波にさらされた時代も、タカラジェンヌたちの強い絆で苦難を乗り越えました。しかし、その宝塚歌劇にまたしても危機が訪れました。1995年1月17日に関西地方を襲った阪神・淡路大震災です。マグニチュード7.2、最大震度7というこの大地震は、関西全域に甚大な被害をもたらし、死者6000人以上、負傷者40000人以上という、日本災害史上、最大級の損害をもたらしたのです。

真琴つばささん
「ひとりだったけど『ワーッ!』って声出して、テレビの上の時計が落ちて、姿見も倒れてきてカセットデッキの再生ボタンを押しちゃったんです。そしたら1週間前までやってた『狼男』の主題歌が流れて『人は誰でもひとりだ。だから泣くより、笑おう』って。『笑えるか!』ってひとりで叫んでましたね。」

タカラヅカの本拠地・兵庫県宝塚市は、その阪神大震災の被害をもっとも受けた地域のひとつ。震災の2年前にリニューアルされたばかりだった宝塚大劇場も壊滅的な被害を受けました。スプリンクラーが作動し劇場内は水浸しになり、コンピューター制御による最新の舞台装置はことごとく破壊され、約130トンの舞台装置を支えていた、直径8センチのボルトは真っ二つに折れました。また、すべての衣装を保管していた倉庫も水浸しとなってしまったのです。

震災当日は通常通りの公演が予定されていた上に、次回公演のチケット前売り発売日であったため、数時間後には数多くのファンが殺到するはずでした。地震発生が早朝であったため、お客さんに被害が及ぶという最悪の事態は免れたものの、公演再開まで最低でも半年は要する、というほどの甚大な被害を受けたのです。

しかし、この大震災を前に、第二次大戦をも乗り越えたあの「強い絆」が再びよみがえりました。震災地から遠く離れた東京では、大地真央さんや黒木瞳さんらが中心となり、総勢200名ものOGが、日比谷の東京宝塚劇場に集結。チャリティーコンサート「宝塚へ届け愛の唄声」を開催するなどして、タカラヅカの危機に立ち上がりました。さらにOGや数多くの関係者も、様々な形で宝塚復興に向けた活動をスタートさせたのです。

劇場係長・澤田正恒氏
「最初、見た時は、半年くらいかかるんじゃないかと思いましたけど、全国のお客さんから、『宝塚の灯を消すな!』と強い要望がありまして。工期の短縮、3月末までにオープンすることを目標にがんばったんです。協力会社の方が、震災からの復興の為に職人さんの手が必要だ、ということで、震災当日に人数を確保してくれまして…もう無茶苦茶うれしかったです。我々ではもう、どうしようもありませんので。」

営業担当・蓮池晃氏
「感傷にかられるというよりはですね、やはりお客様をどうお迎えするのかというのと、どうやって営業を続けるのかという、どっちかっていうと自分たちの思いというよりは、責任という部分の方が、たぶん皆の中にあったんじゃないかなと。従業員も食べるもがなく、当時、私ども遊園地も営業しながら、動物のエサのリンゴとかパンのくずとかというものを共に口にしながらというようなこともありました。」

そんな中、生徒達は、同期生同士で連絡を取り合い、公演再開を信じて、各自稽古に励みました。

舞風りらさん
「大震災で大変な方々もいらしたですし、少しでもそういう方に夢を見ていただけたらと。そういう時間を、夢を見ていただけるそんな時間を私たちが作れたらいいな、とあの時はみんなで頑張って…。」

震災から約1ヵ月後の2月23日には、再開のメドが立たないながらも、星組が稽古を開始しました。そして震災から74日後の3月31日、タカラヅカが帰ってきました。麻路さき擁する星組公演。再びタカラヅカにレビューの明かりが灯ったのです。依然震災の傷が癒えないままでしたが、それでも再開初日、劇場は多くのファンで埋め尽くされました。

演出家・植田慎爾氏
「家は焼けました、潰れました、でもこの時間だけは苦しいことを忘れて見られたので元気を得られましたから明日からまた頑張ります、だから先生のところの宝塚も頑張ってください、ってお帰りいただいたときには、少しはお役に立ってるんだって思いましたよ。だから文化というのは、政治や経済なんかと一緒のように大事だな、っていうのを実感して…。」

劇団生徒やOG、さらには歌劇に関わる多くのスタッフの熱意で、再びその灯をともした宝塚歌劇。しかしそれでも苦難の日々は続きました。阪神・神戸地区では、自宅が倒壊し、避難所生活を強いられる被災者も数多く、宝塚を観劇に訪れる観客数は、震災前に比べれば激減。客席に空席が目立つ日も多く、「辛くて2階席を見上げられない・・・」とつぶやいたトップスターもいたといいます。しかしそれでも彼女達はくじけませんでした。「被災地の人々の心を少しでも癒せるように」と、トップを始めとした生徒が一丸となって稽古に励み、舞台のクオリティーを高め続けたのです。

そして震災から半年後の6月、花組にひとりのトップスターが就任します。「宝塚の革命児」と呼ばれたスター・真矢みきさんです。真矢さんは、それまで「短髪」が当たり前だった男役の常識を覆し、なんと髪の毛を伸ばし、長髪の男役トップスター像を作り出したのです。さらにそれまで多く用いられていたメイクの色合いを変えたり、当時の宝塚の常識からすれば考えられない、写真家・篠山紀信氏の手による写真集を発表するなど、伝統を受け継ぎながらも、次々と新しいことに挑戦。新たなファン層を獲得し、確実に観客の心を捉えていったのです。

第二次世界大戦、阪神淡路大震災…二度の苦難にも決して屈しなかった宝塚歌劇団。その陰には、それを支える多くの人々の努力、そして「夢の世界」を届けるために、音楽学校での厳しい教えに耐え、伝統を受け継いだタカラジェンヌたちの熱い想いと、強い絆がありました。

真琴つばささん
「規則はですね、ハッキリ行って体育会系なんですよ。ノリが。私、学生時代バレーボールやってたんですけど、全く変わらないんですよ。仲間のひとりが怒られてたら、絶対知らん顔しちゃいけないって。一緒になって謝れって学校時代から言われてたので。」

浅海ひかるさん
「まず宝塚の音楽学校にはいって最初におしえてもらうのが、挨拶のしかた。上級生、先生方にする挨拶の仕方を教えてもらいますね。そこから始まって、舞台のこととか、化粧のこととか、衣装のこととか、いろんなことを教わります。」

舞風りらさん
「予科生のときには『何で隅っこのこんな細かいところまでこんなに丁寧に掃除するんだろう』って思ったんですけど、いま思えばそういう目が届かないところとか、自分が気づかないところにまで色んなところに目を配れるというか、色んなことに気づくことができるようにというか、本当に色んな意味がこめられていたんじゃないかと思うんですよね。隣の子が間違えても同期の責任だし、もし私が間違えたら、同期のみんなが『すいませんでした。明日までにはできるようにがんばります』といって…同期の絆も深めることができたし、厳しさの裏には嬉しさが100倍付いてくるみたいな、そんな感覚でした。」

小林一三氏が残した「清く、正しく、美しく」。その教えを忠実に守り、厳しい稽古と重い伝統を受け継いでいくことで、宝塚という夢の舞台は守られ続けてきたのです。

ことしも47名が宝塚音楽学院に入学し、夢の舞台「宝塚」の門をくぐりました。92年の歴史を支えてきたタカラジェンヌによる、宝塚への誇りと強い絆は、未来へ向って脈々と綴られていくのです。


宝塚歌劇

花組公演 ミュージカル『ファントム』
宝塚大劇場:6月23日〜8月7日 【5月20日一般前売開始】

月組公演『暁のローマ』『レ・ビジュー・ブリアン』
東京宝塚劇場:7月7日〜8月20日 【6月4日一般前売開始】

星組公演『コパカバーナ』
梅田芸術劇場 6月3日〜6月19日 【好評発売中】

宙組公演『コパカバーナ』
博多座 (8月1日〜8月23日)【6月17日一般前売開始】

宝塚歌劇インフォメーションセンター
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