大越健介の報ステ後記

沈黙は語る
2023年03月11日

ドローン-福島第一原発 

 ドローンから撮影した夜の映像。画角の奥の方に横に光の列が見える。廃炉作業の長い途上にある東京電力福島第一原発だ。
 ここは原発から5キロ余りのところにある福島県大熊町の旧大野小学校。「旧」とつけなければならないのは、この小学校が、原発事故の影響で廃校となったからである。
 あれから12年を迎える前日の3月10日。僕はこの旧校舎の前から報道ステーションの中継に臨んでいた。

大野小学校

 あたりを包むのは暗闇と、そして沈黙である。静けさという表現でもいいのかもしれない。でも、沈黙という言葉がふさわしいと思った。沈黙には、人間の意思が込められているからだ。
 福島第一原発が立地する大熊町は、事故の影響の度合いが最も深刻だった町のひとつだ。12年がたち、これまでに町の49%で避難指示が解除されたが、すさんでしまった町に戻ろうという人は少ない。この時点で、帰還した住民はわずか194人にとどまっているという。
 ふるさととは言え、生活のインフラが整っていない場所への帰還に、二の足を踏むのは当然と言える。しかも、多くの人たちは避難した先で、すでに新しい暮らしを営んできた。いや、営まざるを得なかった。すでにその場所が離れがたい住み処となっている人は多い。
 それが12年という年月だ。

階段 手すり

 廃校とはなったが、旧大野小学校の校舎は頑丈だ。41年の学校の歴史が刻まれている。階段の手すりには無数の傷があった。子どもたちがふざけあったり、中にはいたずらをしてつけた傷もあったかもしれない。
 相合傘という言葉を思い出したのは何年ぶりだろう。放送室だった小部屋の壁に残された、いくつものかわいらしい相合傘の落書き。名前のイニシャルが書かれている。小学校も高学年となれば、もうそんなお年頃だ。こうした落書きひとつをとっても、ここが児童たちの学び舎だったことを証明している。

相合傘

 しかし、この旧校舎を放置しておくのはもったいない、いや、むしろ地域の再生のための、またとない拠点になるはずだと考える人たちがいた。官民共同の取り組みによって、いま旧大野小学校は、人々の交流と産業共創の拠点となる「大熊インキュベーションセンター」となって生まれ変わった。「インキュベーション」とは、卵をふ化させるという意味である。原発事故で傷ついたこの町から、新しい希望を生み出していこうという願いが込められている。

小学校 教室

 学校の図書室だった場所は、機能的なテーブルやいす、簡単な売店も置かれ、町の内外の人たちが自由に出入りできるようになっている。そして、ガラス張りの向こうには、有料のシェアオフィス。有料とはいえ、ひとり1時間150円という安さだ。
 こうしたオフィスだけではない。教室だった場所は会議室に生まれ変わっている。子どもたちの机や黒板をそのまま残した「教室型」会議室もあれば、畳敷きの「和風旅館」的な打合せスペースもある。先ほど触れた旧放送室は、WEB会議室として改装されていた。使用料はいずれもやはり驚きの安さである。生まれ変わった校舎は、もはやちょっとしたビジネス・ワンダーランドだ。
 このインキュベーションセンターには、車で来ることができるし、最寄りのJR常磐線の駅からは循環バスも出ている。

大熊インキュベーションセンター

 僕だったら、と考える。一週間ほど休みが取れ、本でも書くために缶詰めになる必要性に迫られるかもしれない。そんなとき、この施設なら絶好の環境だ。寝泊まりに不便を感じたら、近くのいわき市あたりにホテルをとって通えばいい。
 インキュベーションセンターは、建物の中にある子どもたちの落書きや、ちょっとした傷はそのまま残すそうだ。ここを巣立っていった若鳥たちの記憶をとどめるために。

 改めて校舎の外に出た。そこで感じるのは、やはり沈黙である。しかもその沈黙は重い。この、重さが意味するものは何だろうか。
 原発事故によって生活を根こそぎ奪われた人々の悲壮。紙一重の命の恐怖の記憶。帰りたくても帰ることのできないもどかしさ。そうした一切の思いが詰め込まれているからこそ、この沈黙には重さを感じるのだろう。単なる静けさとは違う。沈黙とは雄弁に語る行為そのものなのだ。

 政府は原発政策を大転換した。このところのエネルギー事情の厳しさと、脱炭素への社会的要請を背景に、原発回帰を鮮明にした。世界最大規模の新潟県・柏崎刈羽原発を含め、スピードの差こそあれ、各地で休止中の原発が再稼働の準備を進めている。
 高額の電気料金に苦しめられ、一方ではこれ以上の温暖化物質は将来世代を苦しめるという事情が切迫している。その意味で、安全性を可能な限り担保しながら原発を再稼働させていくのは理にかなったことと言えるし、世論も後押しをしている。
 ただ、福島の事故を決して忘れてはならない。
 大熊町は、インキュベーションセンターをその象徴としながら、ようやく再生へ一歩を踏み出そうとしている。ここまで12年近くもかかった。原発に回帰することは、この12年に積み重なった沈黙の重さと苦しさを肝に銘じることと、同時並行の作業でなければならないのだ。

(2023年3月11日)

  • mixiチェック

2023年3月
« 2月   4月 »
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031