

2008年6月2日
ジャケットに金のエンブレム、ボタンダウンシャツ、タータンチェックのスラックス――。
1960年代、世の男性たちに熱狂的な支持を受けたVAN。
メンズファッションなどなかった時代、若者たちはVANの服に飛びつき、街にはアイビールックの男たちがあふれた。
あの頃、VANはいかにして世の男性たちの心を掴んだのか?
VAN創業者・石津謙介の"革命"に迫る。
1911年、石津謙介は岡山県で紙問屋を営む家に生まれた。
1951年、41歳で紳士服メーカー「VAN」を開業。VANとは、英語で"第一線"の意味を持つ"VANGUARD"からとったものだ。
石津の長男・祥介さんは「親父が"日本中の普段着を俺が作ってみせる"と始めた会社」と語る。実は当時、男性のほとんどはオシャレとは無縁で、若者たちはどこへ行くにも詰襟の学生服を着ていた。その一方で、アメリカ文化が流入。米兵たちの普段着を目にした若者たちは、オシャレへの興味を高めてもいた。
そんな時代の空気を察した石津は考えた。
『男性がオシャレを楽しむ文化を日本に根付かせたい』
日本人に受け入れられるファッションスタイルを求めてアメリカを視察した石津は、ひとつのスタイルを見つけた。アメリカ東海岸の"アイビーリーグ"と呼ばれる名門8大学。その学生たちの普段着、いわゆる「アイビールック」だ。ジャケットやボタンダウンシャツ、コットンパンツなどを基調とし、100年の伝統を持つファッションスタイル・・・。
「遊び心を持ちながら奇抜すぎず、洗練されたこのスタイルなら、学生服を主流としてきた日本の若者にも抵抗なく受け入れられるはず」石津は確信した。
そして、3年の歳月を費やし、VANのアイビールックを世に送り出す。
1959年、VANはアイビールックの第一弾としてジャケットを販売。これを皮切りに、VANの服は飛ぶように売れたという。そこには石津が打ち出したファッション界の常識を覆す革命があった。
"メディア戦略"―――。
当時人気だった日活映画等に積極的に衣装を提供。人気俳優にVANの服を着せ広告塔にした。また、メンズファッションのバイブルとされていた雑誌『メンズクラブ』に連載を持ち、アイビールックの着こなし術を徹底的に指南。