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2010年6月11日

“日米安保”の原点、日本が揺れた1960年

“日米安保”の原点、日本が揺れた1960年

今から50年前、1960年6月。国会議事堂を取り巻き、「安保反対!」を叫び、全国でデモに参加した延べ500万人の学生や市民たち。戦後の日本が大きく揺れた“安保闘争”とは何だったのか。

戦後アメリカに占領されていた日本は、1951年9月、サンフランシスコ講和条約で独立すると同時に、『日米安全保障条約』を結んだ。しかし、それは、たとえ日本が攻撃されたとしても、米軍には守る義務はなく、さらに、日本国内で起きた内乱には米軍が出動し、制圧できるという、極めて一方的なものだった。その不平等な安保条約の改定に、岸信介総理大臣が乗り出した。1960年1月19日、岸総理とアイゼンハワー大統領の間で、新しい『日米安保条約』が調印された。そこには“相互協力”という言葉が入り、日本が武力攻撃を受けた場合、米軍と自衛隊が共同で防衛行動をとることになった。米軍は“日本及び極東の平和”を守るため、日本国内の基地を使用できると明記。大部分の米軍基地は、当時まだ返還されていなかった沖縄に集中することになった。

終戦から15年。国民にとっては、岸総理は戦争を始めた東条内閣の商工大臣で“A級戦犯(容疑者)”のイメージが色濃く残っていた。さらに、当時の世界は社会主義と資本主義のイデオロギーが激しく対立。キューバ危機の直前で、米ソの東西冷戦は緊迫していた。戦争の記憶が残っていた時代、再び戦争に巻き込まれる危機感から“全日本学生自治会総連合”通称・全学連が先頭に立ち、安保条約の国会での成立を阻止する運動を起こした。全学連でデモを指揮した平井吉夫さん(71)は、当時のことを「きなくさい臭いがプンプンしていた。日本がまだ戦争をできるようにするための改定だ」と話す。早稲田大学の4年生だった佐々木和子さん(72)も同じ思いだった。「軍国主義の日本に帰って行くのではないかという恐怖感があった。我々の敵はアメリカではなく、日本の帝国主義である」と話す。また当時、父親が自民党衆院議員であり、東京大学の2年生で安保闘争に参加した自民党・加藤紘一衆院議員(70)は「父親の元に行けば『日米安保改定がなぜ悪い。ソビエト社会主義は敵だ。アメリカが一緒になって守ってくれる。なぜ悪い』と言われ、大学へ行くと『マルクス・レーニン、イデオロギーにかぶれなければ知識人、学生じゃない』と言われた」と話す。

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