

2011年9月12日
アメリカ同時多発テロから10年。ニューヨーク世界貿易センタービル跡地「グラウンド・ゼロ」では11日、追悼式典が行われた。当時、朝日新聞ニューヨーク支局長だった五十嵐浩司コメンテーターが、10年たった今を取材した。
2001年9月11日。あの日、五十嵐氏が出社したのは、午前9時前だった。そのとき、東京から世界貿易センタービルに飛行機がぶつかったようだという電話を受けた。支局から、世界貿易センタービルは、陰になっていて直接見えない。五十嵐氏は、自分のデスクの隣にあるテレビをつけて初めて何が起きているか把握したという。そのうちに、2機目の旅客機がビルに突入。「これはただの事故ではない、テロだ」と思ったという。そして、1棟目のタワーが崩落。「日本でテレビを見ている人たちと決定的に違うのは、音、臭いがする。空気の違いがわかる。アフリカ、中東で、いろんな戦争の現場を回って、相当に慣れているつもりだったけど、あの様子を見たときは、鳥肌が立った。体の底からゾクゾクした」と話す。記者たちを現場に走らせ、五十嵐氏は一人支局に残った。翌日の朝日新聞は、全面展開でアメリカの同時多発テロを伝えた。支局に30時間以上、缶詰めになっていた五十嵐氏が初めて現場へ足を踏み入れたのは、翌日の昼過ぎ。真っ白な灰が舞う場所で、奇妙な光景を目にした。道路沿いにある店のテラスで、地元の人たち数人がテーブルを囲み、ワインを飲んでいたという。また、その少し先では、灰の中で子どもたちが野球をして遊んでいた。五十嵐氏は「ワインを飲んでいた大人たち、そして子どもたちも目が笑っていなかった。怯えきったような目だった。あまりにもすごい惨状で、必死になって日常を演出していたような気がする」と話す。
グラウンド・ゼロ近くのビジターセンターには、追悼のため、行方不明者を捜すビラや数多くの犠牲者の写真が展示されている。世界貿易センタービルでの犠牲者は、2753人。そのうち身元が判明したのは6割。1121人は、未だ身元が確認されていない。ニューヨーク市検視官事務所では、遺骨の確認作業が今も続けられている。先月、当時40歳の男性の身元が確認されたばかりだ。当初、180万トンにも上るがれきは、郊外の廃棄物処分場に運び込まれた。