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サラリーマン必見!『ニッポンを変えたニッポン人ファイルVOL.1 中村修二』
コンサートの巨大スクリーン、携帯電話のバックライト、横断歩道の信号機、六本木ヒルズのイルミネーション・・・近年、皆さんが日常的に目にするこれらの光。これは、あるひとりの日本人サラリーマンによって発明、開発されたものです。日本を、世界を揺るがした大発明をしたサラリーマンとは中村修二氏(当時39歳)。スマステーションでは「21世紀を変える」とまで言われた「青色発光ダイオード」を発明した中村氏に独占インタビューを敢行し、世紀の大発明の背景と、発明をめぐる企業と開発者である社員の報酬問題にもスポットを当てます。
21世紀を変える発明『青色発光ダイオード』

発光ダイオードはLEDとも呼ばれる発光体で、熱を出さずにエネルギーを無駄なく光にすることができる半導体。消費電力が少なくその寿命は半永久的であり、大量生産できるので値段が安いという利点もあり、その発明は我々の生活に多大な影響を与えました。光の三原色――赤、緑、青のうち、長年、青の発光体だけは開発されずにいました。世界中の有名大学や大手企業が莫大な資金を用いて挑戦するもことごとく失敗。20世紀中の発明は無理と言われていた難題だったのです。
そんな中、この難題にたったひとりで取り組み成功させたのが・・・当時サラリーマンであった中村修二氏。中村氏によって青色が誕生したことで、「光の三原色」が全てそろい、フルカラー表示が可能になったのです。
徳島大学工学部を卒業した中村氏は、1976年地元の日亜化学工業に入社。配属されたのは、当時3人しかいない開発課でした。当時の日亜化学工業は蛍光体分野では日本を代表する企業でしたが、蛍光灯の需要が減りつつあったことで、経営は厳しい状態でした。そこで半導体分野への進出を目指していたのです。いくつかの半導体の製品化にも成功していたものの、すでに他の大手企業が製品化に成功していたため、会社の業績が上がることはありませんでした。その責任を負わされたのが、中村氏でした。

「(当時は)大手関連メーカーは2,3年間で100億円とかそれくらい使っていたんですよ。1社だけじゃなく5、6社が。自分たちといったら微々たるものですよ。人材といったら1人でしょ。しかも徳島大学の修士課程ですよ。(他社は)東大出のドクターが10人くらいで組んでるから、比べたら勝てるとは思わなかったんですけど、やけくそでやったれと。」

そんな中村氏が当時取り組んでいたのが青色発光ダイオードの研究でした。会社に唯一買ってもらった装置を自ら改造し、休み返上で実験に没頭したそうです。そんなある日、いつも通り出社すると机の上には「ただちに研究を中止しなさい」という上司のメモが…。しかし中村は、それを破り捨て、持ち前の集中力で研究を続けました。すると1年半後…。

「毎日ですね、午前改良して午後反応をみるというのを1年半必死にやって、1年半後、90年の10月にできたのが2フローMOCVという独自の装置。当時一番良くて100だった移動度で200という結晶が出来たんです。高いほどいい結晶なんですよ。その時は最高に嬉しかったんですよ.。世界一というのは初めてで非常に喜びました。」

青色発光ダイオード、誕生の瞬間です。中村は、日本の大手家電メーカーが数百億円かけてもできなかったことをたったひとりでなし遂げてしまったのです。

企業VS開発者・報酬をめぐる訴訟へ

この年の「NYタイムズ」紙には、「世界屈指の大企業を出し抜いた」と絶賛されました。そして、この世紀の大発明は会社の巨額な利益をもたらしたのです。が、そんな中村氏に会社側から支払われた発明報酬は2万円。中村氏はこの研究開発を終えた時点でさまざま企業や大学から誘いを受け、その中から全米屈指の名門校カリフォルニア大学サンタバーバラ校を選び、現在も教授という肩書きで半導体分野の研究に没頭しています。2000年、そのLAの学校に、思いもよらぬ来訪者があり、あの戦いが始まったのです。

「会社の本部の人間が追いかけてきたんですよ。サインをしなさいとね。秘密保持契約のサインをしなさい、と。」

中村氏を訪ねてきたのは、かつて勤めていた日亜化学の人間。機密保持の契約書にサインを迫ったのです。中村氏は、この申し出に対し、自らの発明に対する報酬を求めて、かつての勤務先を逆に提訴しました。そして2004年1月30日、東京地裁は驚愕の判決を下しました。「企業が特許を独占することによって得た利益と発明に対する個人の貢献度から算定した発明の対価は604億円である」とし、中村氏が要求した200億円の全額支払いを命じたのです。600億円という途方もない金額は世間の注目の的に・・・。

「当時は、サラリーマンの人は応援してくれて、会社経営者は皆猛反対したんですよ。IBM社長も経団連会長も、反対だったでしょう。唯一、ホンダの社長だけが、『まあこれもいいんじゃないの』というぐらいで。これは簡単な話で、経営者は自分の懐に入ってくるお金が減るでしょう。サラリーマンの人は、やる気のある人は稼げて、能力のある人は稼げてうれしいでしょ。」

しかし、この判決に対し企業側は直ちに控訴。1年後、東京高裁は和解勧告を出し、結局6億円に遅延金2億円を加えた8億円を会社側が支払うことで決着を見たのです。

「負けですよね、実際には。でも日本では利益考慮だから仕方ないんです。だから和解勧告書もこう書いてあるんですよ。『中村氏の青色発光ダイオードに対する貢献度は認める。しかし、企業が発明者に多大な金額を払えば、企業の存続が危ぶまれる。だから100分の1の6億円にする』って。企業の存続が危ぶまれる――それが利益考慮なんですよ。そこに正義と悪の発想はまるで無いです。」

他にも企業とサラリーマンによる発明を巡る訴訟にはこんなものがあります。砂糖の200倍甘いが低カロリーの甘味料を発明したサラリーマンは、20億円を会社に要求するも1億5000万円で和解。光ディスク読み取り技術では9億7000万円の要求に高裁の判決は1億6300万の支払い。一家に一台はある魔法瓶では1億5000万円を要求するも、判決は640万円。ドリンク剤などに含まれる肝機能の働きを良くする成分の発明に関しては、15億9000万円の要求に対し、企業側は「社内規定による10万円を支払済み」としていたが、その後和解――。実はこのように、日本の多くの企業では、社内規定により報酬が定められているケースがほとんどなのです。画期的なアイデアで大ヒットした床拭きモップ。この商品で企業は2年で200億円の利益を上げましたが、開発者たちに支払われた報酬は10人に対して合計で500万円。30年前に発明され、世界中に輸出されており国内だけで年間15億個も売れ続けている携帯カイロ。実は鉄粉と水を混ぜて熱を出すしくみは明治時代に特許になっており、新技術として特許を取得することはできなかったのです。そのためか、この発明において、企業から支払われた報酬はありませんでした。現在国内外で採用されている事実上家庭用ビデオの世界標準規格「ビデオ・ホーム・システム」VHSビデオ。その開発チームに支払われた金額は驚くほど少ない金額だったといいます。大手企業から次々と発売されている液晶ディスプレイ。今後も液晶テレビなどで成長がみこまれ、1兆円産業とよばれる技術ですが、この新技術を発明した開発者には退職時の77万円で、現在も訴訟中です。2002年、たんぱく質の質量計測法を発明し、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは、ノーベル賞の副賞として1億円を手に入れましたが、会社から特許補償制度に基づき支払われた特別ボーナスは当時の上司と田中氏に計1万円だったそうです。

中村氏の戦いが変えたもの

バブル崩壊後、賃金カットやリストラなどサラリーマンを巡る状況は悪化。かつての終身雇用制さえ危ぶまれ、しかも成功報酬は微々たるもの…サラリーマンたちは一体、何を目標にすればいいのでしょうか。アメリカの場合、基本的に各企業、どんなに重要な特許であれ、その報酬は1000ドルと定めているケースが多いのですが、その代わり、ストックオプションと呼ばれる権利が与えられます。これは、自らの発明で会社の株が上がった場合、上がる前の値段でその株を買うことが出来るというもの。つまり、もし株が倍にでもなれば数億円の収入を得ることも可能なのです。このストックオプションは、入社のときの雇用契約書に記されているので、報酬額で訴訟になるケースはほとんどありません。最近、日本でもこのストックオプションを取り入れたり、社長賞や臨時ボーナスといった形で利益を社員に還元したりする企業が増えつつあります。

日本には古くからこんな慣習があります。歌舞伎などの舞台で満員御礼の時に配られる「大入り袋」。ことし1月に公開し大ヒットを記録した 映画「THE 有頂天ホテル」でも大入り袋が配られました。昨年2月、ドイツW杯アジア予選「日本対北朝鮮戦」を中継し、開局以来最高の47・2%の視聴率を上げたテレビ朝日では、食堂の全品が無料に。これもある種の大入り袋といえます。中村氏の訴訟以降、「発明報酬」に関する日本の企業の考え方も変わってきています。ホンダでは最高50万円だった特許報奨制度の上限を撤廃。三菱化学では会社の貢献度が高い発明に関しては最高2億5千万円の報奨金を支給する制度を設けました。中村氏の戦いは決して無駄ではなかったのです。

そんな中村氏から日本の若きサラリーマンへこんな提言が――。

「大学受験を頂点とした、胎内教育から始まるエリートコース、永遠のサラリーマン、定年間際に部長、これが日本のメインストリームですよ。大事なのはこのメインストリームから外れた人が日本では成功しているんですよ。私、最近よく言うんですけど、5年おきに会社辞めてほしいですよね。そうやってどんどん自分を磨いて、自分を売り込んで、どんどん収入を増やすとかやってほしいんですよね。滅私奉公というのを止めてほしいですね、もう。何のために仕事をしてるんだといったら、会社のためじゃなくて、自分のため。自分の家族のため、そう思って仕事を、研究をやってほしいですね。」

夢を持ち続け、自分を磨く――がんばれニッポンのサラリーマン!

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