夢を売るなら
2022年09月13日

 まったくもって、がっかりだ。
 僕はスポーツが好きだし、その力を信じてもいる。だから、2020年のオリンピック・パラリンピックが東京で開催されると決まった時は、せっかくだから意義ある大会にしようではないか、と青臭く心に誓ったものだ。
 テレビジャーナリズムができることは何かを考え、リオデジャネイロ、ロンドン、アテネといった21世紀に入ってからの開催都市を取材して回り、大会が残した「レガシー」を探り、その成功や失敗の原因を考えるドキュメンタリー番組も作った。

 ところが、である。
 東京地検特捜部の捜査によると、大会組織委員会の高橋治之元理事の身辺では、うしろ暗い多額のカネが動いていたようだ。前代未聞の贈収賄事件である。大会の公式スポンサーの選定をめぐり、紳士服大手や出版大手の首脳や幹部クラスが「高橋詣で」にいそしんでいたという。公式スポンサーになるには高橋元理事のお墨付きが必要だという「構造」になっていたのだとすれば、たちが悪い。高橋元理事は否認している。

 コロナ禍で開催そのものへの批判も多かった大会。出場選手たちの苦悩も深かった。それだけに、大会後、やはり開催できて良かったという世論が各種調査で高まった時には、選手たちも胸をなでおろしたことだろう。ところが、それも今回の事件によってひどく泥を塗られた形になった。
 それは、大会組織委員会の多くの元職員たちにとっても同じだろう。各省庁や企業からの出向者などによる寄せ集め集団だが、大会の成功というひとつの目標が彼らを結束させていた。その経験は今後にもつながると思う。しかし、彼らが将来、「あの東京大会で組織委員会にいまして・・・」と語るとき、胸を張ってではなく、どこか自虐の気持ちを含んで振り返るとすれば、それ自体が日本にとっての損失である。

 僕もこの歳になれば、夢の大会であるとか、平和の祭典という美しい言葉とともに、すべてがきれいごとで片付くとは思っていないし、開催決定の時もそうだった。
 巨額の大会マネーが動くこと、開催経費はしばしば当初の見込みより膨れ上がること、新規の施設が大会後は維持困難になり、「ホワイト・エレファント」(負の遺産)として残ってしまうケースが珍しくないこと。いずれも大会前から分かり切っていたことだ。

 しかし、僕は正直言うと、大がかりなイベントには、ある程度のミソがつくことはやむを得ないとも思っていた。物事はすべて100点満点などあり得ない。だから少なくとも自分は、マイナスの部分に着目するより、大会がもたらす光を大事にしようと思った。
 そこで自らスポーツ番組のキャスターに名乗りを上げ、アスリートが体現する肉体や精神の究極の魅力を紹介し続けた。パラアスリートたちが指し示す、多様性という社会のキーワードを伝え続けた。
 もちろんそれが徒労だったとは思っていないが、テレビジャーナリズムに関わる端くれとして、もっと批判精神があってしかるべきだったと後悔もしている。汚職事件が結果的に大会の成果をくすんだものにしてしまう前に、大会の構造的な問題に積極的に切り込み、不心得者が付け入るスキを、少しでも小さくする役割を果たせたかもしれない。

 それにしても、夢を売るなら、もっと真剣に夢を売ってほしかった。
 大会組織委員会の理事が、なぜ「みなし公務員」として収賄容疑の適用対象となるのか。それは公益のために、公金を使って大切な使命を任されているからだ。そのことを高橋元理事が自覚していなかったのであれば、あまりにお粗末だ。
 広告代理店の電通時代から、スポーツ事業の実力者だったという。贈賄側のある企業の幹部は、「話を持っていくには高橋氏しか窓口はなかった」と言った。だから非はないのだという言い分だ。

 ずいぶん勝手な話だと思う。
 スポーツ大会の開催や、選手の育成にはカネがかかる。そのカネを良き投資と考えれば企業側にもメリットがあり、スポーツ界と企業側にとって「ウィンウィン」の関係になることは決して悪いことではない。
 しかし、その論理をオリンピック・パラリンピックという特別な大会にそのまま持ち込んだとすれば、やはり罪なことだ。平和の祭典であるオリパラの公益性を、全く無視している。
 夢を売るなら、もっと真剣に売ってほしかったというのはそういうことだ。真剣に夢を売らず、商売に徹してしまった「公務員」がふんぞり返っていたという構図。醜悪だ。

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 この週末、4歳の孫と一緒に山歩きに出かけた。峠にある駐車場から山頂までは直線距離にして約1キロ。往復しても数十分の短い行程だが、たっぷり2時間はかかった。4歳女児は意外と健脚で、決して歩くのが遅かったわけではない。彼女は山道でどんぐりを見つけるたびに丁寧に拾って歩くのである。これを植えて育てるのだと言う。
 「名月を 取ってくれろと 泣く子かな」
 小林一茶が詠んだ幼な子に重なる。この山道に落ちているどんぐりをすべて拾うのは、月を取ってくるのと同じくらい夢のような話なのに、4歳児は決して不可能だと思っていない。

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 それに比べて大人というものは、まったく邪気だらけだ。
 今回の贈収賄事件でお縄になった人物たちも、こんな子ども時代があっただろう。なぜ人間は大人になると、余計な欲得や知恵ばかり身についてしまうのだろう。
 もうやめた。この事件を考え出すと、愚痴ばかりになる。夢がなくなる。

(2022年9月13日)

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