

2010年3月4日
日本時間の2月13日に開幕したバンクーバーオリンピック。この開会式に登場したわずか5人の選手たち。ボスニア・ヘルツェゴビナの代表だ。彼らが目指したのは、金メダルではなく、別のものだった。
1984年、社会主義国初の冬季オリンピックとなったサラエボオリンピック。ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボは、大いに盛り上がった。しかし、今回のオリンピックに対し、サラエボ市民の関心は驚くほど薄い。市内にあるスポーツカフェでは、自分の国の選手が登場するというのに、テレビ画面の多くはプロレスに合わされていた。唯一、オリンピックを見ていた女性は「この町の人々は紛争のあと、良いことを信じたり、何かを素直に楽しんだりすることが出来なくなってしまった」と話す。
人々の心を変えた『ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争』。血で血を洗う民族対立だった。ボスニア・ヘルツェゴビナは、ユーゴスラビア連邦を形成する6つの共和国の中の1つだったが、3つの共和国が次々と独立を表明。そして1992年、ボスニア・ヘルツェゴビナも独立へと動き出す。住んでいたのは、セルビア正教のセルビア人、イスラム教のムスリム人、キリスト教カトリックのクロアチア人。サラエボは、宗教や文化の違う3つの民族が共存する複雑な地域だったため、この3民族による紛争へと突入。犠牲者は国内で約20万人にも上り、第二次世界大戦後、ヨーロッパ最大の悲劇となった。サラエボオリンピック会場の隣にあったサッカー場を墓地にしなければならないほど、多くの犠牲者が出た。平和の象徴とされたオリンピック博物館までもが戦場となってしまった。紛争開始から3年半がたった1995年11月、NATO=北大西洋条約機構や国連の介入よって終結した。しかし、今でも再び紛争が起こらないように、ヨーロッパ連合軍が監視を続けている。
今も民族対立は解消されず、国内は主にセルビア人が住む地域と主にムスリム人、クロアチア人の住む2つの地域に分断されている。そんな民族対立を抱えたまま、ボスニア・ヘルツェゴビナは、今回のオリンピックに参加した。かつて旧ユーゴスラビア連邦に属していた各国は、伝統的にスポーツ選手の育成に力を入れていて、今回の大会でも様々な競技で活躍。ボスニア・ヘルツェゴビナの隣国、クロアチアはメダル3個、スロベニアも同じく3個のメダルを獲得した。