

2010年3月10日
今から40年前、大阪・千里丘陵に未来が姿を現した。1970年(昭和45年)3月14日、『日本万国博覧会』通称『大阪万博』が開会式を迎えた。国中が熱気に包まれ、期間中、入場者数は6421万人に上った。高度経済成長期の日本。国民は、万博に何を見たのか。
会場に一歩足を踏み入れると、見たこともない空間に人々は圧倒された。観客の人気を二分したパビリオンが「アメリカ館」と「ソ連館」。東西冷戦の真っ只中、両館は、宇宙開発の成果を競い合っていた。大国が当時、示した進むべき未来の姿だった。「アメリカ館」の前は、幾重にも重なった行列で真っ黒になり、アポロ12号が持ち帰った“月の石”には連日大行列。「5時間並んで、見たのは1分」と誰もがこぼした。
大阪万博でアメリカ館と出会ったことが、未来につながった日本企業がある。上空から見たアメリカ館の白い屋根。1万平方mにも及ぶ巨大テントは、当時、世界でまだ実現していなかったエアドームだ。巨大テント作りは前代未聞。その難題に挑んだのが、大阪のテントメーカー「太陽工業」。当時28歳だった太陽工業・元アメリカ館担当班長の宮坂勝治さんは、会場で不具合が生じることを恐れて、自社工場の中でテントを1枚に仕上げることにした。6mのガラス繊維の布を1000枚つなぎ合わせ、1枚に仕上げる。宮坂さんは「大変というより、『やらなあかん』という気持ちで頑張った」と話す。しかし作業は過酷を極めた。来る日も来る日も床を這いつくばって素材を張り合わせる。最後の3カ月は家に帰れず、テントを布団代わりに床で仮眠を取ったという。やっと仕上げた後は、100人が3日がかりで折りたたみ、15tの完成品を運んだ。果たしてうまく膨らむのか。宮坂さんは、疲労と緊張が入り混じった目で、膨らんでいくテントを見つめていたら、勝手に涙が出てきたという。世界で初めて、柱が一本もない1万平方mの大空間が出現し、月面着陸船も丸ごと展示できた。太陽工業は、18年後、大阪万博での経験を買われて、東京ドームの大屋根を手がけることになった。「いつかテントで一般建築物を作る」という夢が叶った。
32あった日本のパビリオンでは、成長を続けていた日本の企業が思い思いに描いていた未来を競い合った。カラフルなドームの「みどり館」。