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2010年3月24日

加藤千洋 探訪 変わりゆく有楽町

加藤千洋 探訪 変わりゆく有楽町

東京都千代田区有楽町。『有楽町マリオン』を中心にビルが立ち並ぶこの街は、かつて今とは違う顔を持っていた。銀座の玄関口として栄えてきた有楽町は、どのような変遷をたどってきたのか。朝日新聞編集委員の加藤千洋が変わり行く有楽町を歩いた。

有楽町に昭和3年に建った朝日新聞社屋。戦後、朝日新聞を含め、毎日新聞、読売新聞の各社が集まり、有楽町は報道の発信地だった。当時、街には新聞のインクのにおいが立ち込め、新聞関係者で溢れていた。学生時代、新聞記者に憧れていた加藤さん。朝日新聞の裏手にある“朝日街”と呼ばれた一角に何度も足を運んだという。

終戦直後、GHQと銀座に挟まれた有楽町には、闇市が立ち並び、多くの人々が集まった。有楽町は、いち早く復興を遂げた場所だった。当時、江戸城外堀川があり、それをまたぐ形で、数寄屋橋があった。しかし、東京オリンピックに向けた東京の大改造で街は一変。川は埋め立てられ、それに沿って高速道路が走るようになる。完成した高速道路から撮った写真には、見物客が高速道路に上がっている様子が映っている。50年前の有楽町を撮影した写真家・大竹静市郎さん(70)は「交通量が非常に少なく、平気で上がれた」と話す。今の有楽町を目の当たりにして、「50年の街の変わりようは本当にすごい」と実感する。

戦後の食糧難の時代、有楽町駅前にはバラック建ての飲食店がぎっしり並び、“すし屋横丁”と呼ばれていた。しかし、再開発で取り壊されることになり、1968年8月、最後に残った一軒のすし屋が、常連客が見守るなか取り壊され、すし屋横丁は消滅した。その後、駅前の風景は大きく変わった。消え行く“昭和のにおい”。しかし、今もガード下には、古くからの店も残っていて、古い映画や芝居のポスターなどが貼られ、“昭和の面影”が残っている。60年前から駅前で営業している果物店の女性は、「日劇に出る人への差し入れが多かった」と懐かしそうに話す。昭和の芸能を彩った有楽町の日本劇場、通称“日劇”。日劇のステージに立つことが芸能人のステータスとなり、まさに日劇は、昭和の芸能の発信地だった。

日劇華やかなりし頃、朝日新聞に入社した加藤さん。当時、新聞社の屋上には、まだ鳩小屋があった。「かつて記者は、鳩と一緒に現場に向かった。

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