

2010年4月14日
故人の人生を振り返りながら、その死を悼むシリーズ『さよなら』。
“アングラの女王”と呼ばれていた歌手・浅川マキさん
1969年デビュー。学園闘争の嵐が吹き荒れた60年代末、漆黒のドレスで歌った『愁い』や『寂しさ』は、体制にあらがい、さまよう若者たちの心を揺さぶった。共演したジャズピアニストの山下洋輔さんは、「音響・照明、全部自分のやり方でやらなければ気のすまない人だった」と話す。次々と舞い込むテレビやコマーシャルへの出演依頼はかたくなに断り続け、こだわりを貫くため、あえて小さなライブを重ねた。自分の報酬はいつも後回し。40年間写真を撮り続けた田村仁さんは「ミュージシャンに出演料を先に払って『残った分が私のもの』。赤字になることがあり、それを自分で持った」と言う。ワンルームでのつましい暮らし。たとえ闘争の時代が過ぎ去っても、地下の暗がりで歌う姿は変わらなかった。浅川さんは、かつてこんな言葉を残している。
『時代に合わせて呼吸できなかった。売れない歌手。でもお金に代えられないものもあった。人生が全部ダメでも、一拍が深い歌、それだけは守りたい』
生涯独身だった浅川さん。ライブ開演直前、ホテルで倒れているのが見つかった。
1月17日、急性心不全にて死去(享年67)。
巨人軍の球団“鬼”寮長・武宮敏明さん
30年に渡り球団の寮長を務めた。元読売巨人軍投手の堀内恒夫さんは、「竹刀でよく殴られた」と話す。門限破りの常習犯だった堀内さんは、最も鉄拳制裁を浴びた一人。入団早々、一軍で活躍しても、武宮さんは容赦なかった。「1年目から勝って、チームの中心のピッチャーになって、天狗にならないほうがおかしい。それを叩き直して、野球をまともに出来るようにしてくれたことに感謝している」と堀内さんは話す。武宮さんの二男・健二さんは、「地方から若い18歳過ぎの子が出てきて、『大事な息子を預かった』『道を外れたことはさせない』という気持ちがあったと思う」と言う。武宮さんは、寮では、電話のかけ方や手紙の書き方、習字の時間まで設け、野球の夢に敗れても社会で生き抜いていけるように指導。“鬼”となった。
1月15日、急性すい炎にて死去(享年88)。