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2011年1月12日

“強いドル”の終焉、円高時代どう生き抜く

戦後の世界経済を牽引してきたアメリカの象徴とも言える“強いドル”。そのドルへの幻想は今、脆くも崩れ去った。ドルが最も強かった時代は、どのような状況だったのか。
ジャズ奏者の渡辺貞夫さんは、1ドルが360円した時代にジャズを学びにアメリカのバークリー音楽院に留学。その後もアメリカと日本を行き来し、ドルの変化を肌で感じてきた。留学当時の1ドル360円という為替レートは、既に結婚して一女をもうけていた渡辺さんに重くのしかかった。東京−ボストン(片道)の航空運賃は500ドル。1ドル360円に換算すると18万円だ。当時の高卒初任給は1万円程度だったので、1年半分の給料に相当する。お金がなかった渡辺さんは、家族は連れて行くことができず、水杯をかわすつもりで旅立ったという。一方で、アメリカ留学のかたわら渡辺さんが音楽で稼ぎ出す金は、当時の日本円に換算すると莫大な額になった。1週間仕事をして125ドル。月給500ドルになる。アメリカで1カ月働けば、日本での給料1年半分が稼げた。これが、円が弱く、ドルが強かった“1ドル360円時代”の実態だ。

ドルが強かった理由は、“基軸通貨”としての絶対的地位を築いていたからだ。第二次大戦後、ドルを正式に世界の基軸通貨とする『ブレトン・ウッズ体制』が確立する。“基軸通貨”とは、世界中の通貨と結び付けられ、貿易などの決済をするときに中心的な役割を果たす通貨。通貨の交換比率は、常に一定の固定相場制で、日本円は1ドル360円と取り決められた。当時、アメリカは、圧倒的な量の金を保有していて、各国が貿易などで手にしたドルをいつでも金に交換できることを保証した。金という確かな裏づけがあるドルを、各国は安心して使うことが出来た。しかし、各国がドルと金を交換するようになると、アメリカの金の保有量が次第に減っていった。1971年8月、ドルは大きな転期を迎える。ニクソン大統領が、ドルと金の交換停止を宣言。いわゆる『ニクソンショック』だ。慶応大学経済学部の櫻川昌哉教授は「歴史的に初めて通貨と金のリンクが切れた。世界中の貨幣が根無し草になった。しかし、『みんなが使うから自分も使う』とすべての人が思えば、結局ドルが使われ続ける。一種の惰性」と話す。代わりの基軸通貨がないなか、皮肉にも金の裏づけを失ったドルは、時代とともにますます国際的に流通するようになった。

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