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SmaSTATION!!特別企画シリーズ 秘められた伝説・・・萩本欽一を成功に導いた「運」を操る法則

1970年から80年代にかけて、テレビ界に旋風を巻き起こした萩本欽一さん。当時、萩本さんが持っていたレギュラー番組は1週間で3本。その3番組の視聴率をあわせると、なんと驚異の100%にも達していたのです。 まさに萩本さんは、昭和の視聴率王の名を欲しいままにしていました。そして、関根勤さん、小堺一機さんをはじめ、現在も第一線で活躍する「欽ちゃんファミリー」と呼ばれる多くのスターを輩出させます。彼には、一体どんな成功の手腕があったのでしょう。当時の彼を知る人々は口を揃えて「運を操れる人」と言います。それは、一体…?

〜「運を操る法則」其の一〜【キャスティングは全て「運」で決める!】

番組の成功の鍵を握る出演者を決めるオーディション。萩本さんにとって、オーディションでの実力など二の次、全て「運次第」だったといいます。のちに最高視聴率38.8%を叩き出すこととなる伝説の番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」。そのオーディションで、萩本さんはまず、「イモ欽トリオ」の「良い子」に、演技力抜群の山口良一さんを合格させます。しかし、番組を成功させるためには、「デキる人間だけでは成立しない」と考えた彼は、「一番最初に落したあのデキない子、もう一度連れてきてよ。合格にしよう!」と言い出し、一目見て「歩き方からできていない」と一度落した人間を合格にしたのです。こうして不合格から一転、採用されたのが、「フツオ役」の長江健次さんでした。萩本さん曰く、「番組を当てるには、デキる人間だけを集めても決して成功しない。デキる人間をキャスティングしたら、必ずデキない人間もいれる。そうすることでバランスが取れ、運を招くことができるのである」と。さらに、1976年に始まった、テレビ朝日「欽ちゃんのどこまでやるの!」。萩本さんの妻役を演じた真屋順子さんは、映画「大奥」でいじめ役をやるということだけで、キャスティングされました。萩本さんが、写真を見ただけで真屋さんを妻役に決めた理由。それは、真屋さんが背負う「不幸に魅せられた」から。その裏には、萩本さん独自の「不幸な人は、運が溜まっている」という「運」の法則があったのです。事実、このオーディションでは、あの見栄晴さんも、「家庭が恵まれていない」という理由で合格。さらに、ケガをして長らくテレビ出演から遠ざかっていた細川たかしさんも、「不幸を背負っている」という理由で後半からレギュラーに抜擢されました。さらに、1983年からフジテレビで始まった欽ドンシリーズ、「良い子悪い子普通の子おまけの子」では、こんな驚きのオーディションが行われました。「今回は強運の持ち主が欲しいんだよね」という、萩本さんの一言で、オーディションは思わぬ方向に向かいました。すでに最終選考まで進み、あとは合格者を決めるだけとなったところで、最終選考に残っていた10人を突然、自宅へと帰したのです。一体、萩本さんはどうやって強運の持ち主を選び出そうとしたのでしょうか。「オーディションやって、全員帰して、1時間後に電話がつながったのが『合格』って」と萩本さんが言うように、1時間後に自宅へ電話をして、つながった人を合格にするというのです。1時間後、スタッフがそれぞれの自宅に電話をかけたのですが、誰も帰宅していません。そのなかで、ひとりだけ電話がつながった人物がいたのです。その人こそ、良川先生役に抜擢された、柳葉敏郎さんでした。

「真っ直ぐに家帰る奴は、運が相当溜まってるね。仕事がない奴と金がない奴しか、真っ直ぐ帰らないからね。で、つながったのが柳葉っていうけど、でもね、あいつ真っ直ぐ帰りそうもないんだよなぁ」(萩本さん)



「『金がない』『仕事がない』あと、『付き合っている女性がいない』こんな奴なら真面目に仕事もするだろうと・・・
確かに僕は金も仕事もなかったのですが、実は当時、付き合っていた女性はいました。」(柳葉さん)




しかし、番組がスタートしてからも萩本さんの「運」へのこだわりは止まりません。1988年、日本テレビで始まった「欽きらリン530!!」。この番組の開始わずか数日前、萩本さんは驚くべき方法でスタッフ、出演者の運を見たのです。それは、「阿弥陀くじ」でした。

「阿弥陀くじを、スタッフと出演者の分、作るんですよ。で、大将(萩本さん)が言うんですよ。『スタッフだろうがタレントだろうが、○を引いた奴を押していく。そいつには運がある』って。で、『悪いけど×を引いた人はこの番組から外れてくれ』って。で、○を引いたのが、僕だったんですよ。×を引いたのはスタッフの方みたいだったんですけど、いなくなりましたよね、本当に」(勝俣州和さん)

その後も、萩本さんによる運のチェックは続き…。

「会うたびに、『最近どうだ?』って、僕の周りの出来事を聞くんですよ。『教えてくれ』って。で、『あんまりいいことないですね、ふられてばっかりだし』って言うと、嬉しそうにするんですよね。あ、こいつは他で運をつかってないなって」(勝俣さん)


〜「運を操る法則」其の二〜【運を招くには神様によく見えるように!】

欽ちゃんファミリーの一員として、弱冠14歳にして一躍人気者となった、松居直美さん。本来、萩本さんは、女性の弟子には甘く、厳しくしごくというようなことは一切なかったそうです。ところが、松居さんだけには徹底的に稽古を付けたと言います。「苦労続きの母親と祖母を幸せにしたい」という思いで、芸能界に入った松居さんを、師匠としてなんとか成功させたいと思ったからです。

「何かひとつ出すにしても『その出し方は素人』みたいに言われるんです。だけど、『そこでどうやるんですか?』って言うと、『聞いちゃダメ』って言われる。とにかくやるんです」(松居さん)



ここにも、運を操る萩本さんならではの驚くべき方法論があったのです。一度で完璧に出来たとしても、必要以上に稽古を繰り返させることで、「運の神様にその様子をしっかりと見てもらい認めさせよう」というものです。

「『松居直美ちゃんは、1回でうまくできました。でも、あと19回やりました。一生懸命やったでしょ。神様、有名にしてあげて』って。お願いすることがないと、有名にならない。僕が有名にしたんじゃなくて、19回を見ていた運の神様が彼女を有名にしてくれたんだと思いますよ」(萩本さん)

また、萩本さんは、運の神様に弟子たちの努力を認めさせるため、稽古の最中は必ず、稽古場のカーテンや窓は全開。そしてできるだけ、窓際で練習させたのです。

「窓を開けて、こんなに一生懸命やってる、っていうのを見てもらうの。だから、ときどき稽古中に言いますよ。『見てますよね?またもう一度やりますんで、よろしく』って」(萩本さん)


〜「運を操る法則」其の三〜【運はひとつしか得られない!】

萩本さんの考える「運の法則」によれば、運は、「仕事」、 「お金」、 「健康」、 「家族」、「友達」、その中からひとつしか得られないと言います。つまり、そのうちのひとつでも上手くいってしまうと、残りは全てが不幸となる、というのです。そこで当時、仕事でどうしても成功したかった萩本さんは、その他のことでの不幸をあえて望んだというのです。番組スタッフとゴルフに行って、雨が降れば大喜び、逆に晴天のときには「ゴルフ日和か。そうか、帰るぞ」と言い出すほど。遊びでは決して「運」を使おうとはしなかったのです。そしてそんな彼は、家庭でも良い父親であることを拒んだのです。

「テレビで楽しく、順調に行ったもんですから、ほとんどそっち(テレビ)のおとっちゃんしてますからね。家庭的には不幸だったと思いますね。チャラですよ。そのくらい我慢しなきゃ」(萩本さん)

実際、最も忙しい時期には年に3回ほどしか自宅に帰らず、たまに帰ると自分の子供から、サインをねだられることもあったといいます。さらに、結婚当初、奥さんには「おいしい飯だけは作らないでくれ」と注文をつけていたと言います。おいしいご飯が待っていると思うと早く家に帰りたくなる、そんな幸せな家庭があっては仕事がうまくいくはずがない、そう考えたのです。しかし、仕事で成功するためにはプライベートでの不幸もいとわない萩本さんも、レギュラー番組3本の視聴率が合わせて100%を越えた時は、さすがに恐怖を感じたといいます。「このままではまずい。家族が大変な病気や事故に見舞われてしまうのでは」と考えた萩本さんは、家族の不幸を回避するために、ペットに家族の不幸を背負ってもらうという方法を発案。ペットという家族が増えれば「不幸が分散される」と考え、なんと金魚を一度に200匹も飼ったのです。


〜「運を操る法則」其の四〜【運は追うと逃げる!】

欽ちゃんファミリーの末っ子的存在といえるはしのえみさん。実は彼女は当初、4人組としてデビューを飾っていたのです。しかし、ほかの3人はさらに上を目指したい、などという理由で、グループを脱退。ところが、はしのさんだけは特に焦る様子も見せず、劇団にい続けたのです。そんな彼女を見て、萩本さんは“売れる”ことを確信したと言います。

「運って、追っかけると逃げていくの。恋愛に近いかな。惚れてるって言うとさ、(相手が)どんどん逃げてく感じがしない? まさに運はがっつかずにじっと待つ。追ったら運はつかめない」(萩本さん)

事実、欽ちゃんファミリーの中で活躍を見せるタレントたちは、売れるまでにかなりの時間がかかった人が多いのです。関根勤さん、小堺一機さんは、当初、萩本さんの代役として稽古中だけ舞台に上がっていましたが、嫌な顔一つ見せずにその役目を全うし、その結果、番組から声がかかるようになったのです。そもそも、萩本さんが彼らの事務所入りを認めるまでに5年もの期間を費やしているのです。


〜「運を操る法則」其の五〜【幸運と不運の年数は同じ!】

1985年、人気絶頂のさなか、萩本さんは世間を騒然とさせる表明をしたのです。突然の「休養宣言」です。当時、まだまだ高視聴率だった全番組をあっさり打ち切りにして、休養に入ったのです。実は、その裏にも、萩本さん流の「運」の法則が大きく関わっていたのです。それは、幸運と不運の年数は同じ、というものです。

「人生はチャラ。生涯を全部幸運で行く人なんて一人もいない。だから、僕も貧乏したの。それが『何年だろう?』って数えたら、16年だったの。で、有名になってちょうど16年目で運が終わったのね。『俺、運無いや』って思って。で、テレビ終わり。運がないんですもん」(萩本さん)

そして今、萩本さんの休養宣言から22年。彼の運の法則に従うなら、そろそろまた、運が舞い込む時期なのかもしれません…。

「運って、みんなが平等に同じように持ってて、みんなが同じように使える。ただ、運を使えないって人はいる。意地悪だったりずるかったり、がっつくってとこには運はこない。みんなが平等に運を使ったら、こんなに世の中辛かったり悲しいはずがない。ずるかったり意地悪な人が多いんだと思いますよ」(萩本さん)



最高視聴率42%!!
テレビ朝日の誇る昭和バラエティの金字塔「欽ちゃんのどこまでやるの!」は、現在CS「テレ朝チャンネル」でなんと毎週レギュラー放送中!
詳しくは http://tv-asahi-channel.jp
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