時代劇の歴史――それはまさに日本映画の歴史でもあります。初めてスクリーンに時代劇が登場したのは1908年。日本映画の第1作目は、日本映画の父、牧野省三監督による「本能寺合戦」という時代劇でした。この頃の時代劇は、まるで歌舞伎のような殺陣が特徴。つまり、本物の斬り合いではなく、あくまでも立ち回りの美しさが求められたのです。
1930年ころから、嵐寛寿郎(あらしかんじゅうろう)、阪東妻三郎(ばんどうつまさぶろう)、片岡千恵蔵(かたおかちえぞう)、長谷川一夫(はせがわかずお)、市川右太衛門(いちかわうたえもん)、大河内傳次郎(おおこうちでんじろう)、月形龍之介(つきがたりゅうのすけ)という、七剣聖(ななけんせい)とも呼ばれる人気役者が登場。それに伴って、悪者をどんどんやっつけていく、といったヒーローものの時代劇が人気を集めるようになりました。当時の観衆が求めたのは、勧善懲悪の世界。ヒーローが大立ち回りの活躍をし、絶体絶命のピンチを切り抜けて必ず勝つ――そんな派手で、かつダイナミックな殺陣を売り物とする作品が主でした。
こうした娯楽性を追及した時代劇が全盛を迎えていた中、革命的な変化をもたらしたのが巨匠、黒澤明です。黒澤が目指したもの・・・それは、迫力ある殺陣の演出でした。『蜘蛛巣城(くものすじょう)』では、本物の弓矢を使用し臨場感を高め、『用心棒』では、鶏肉を刺して斬殺音を再現。そして、『七人の侍』では、盛りがついたオス馬にメス馬を近づけ、発情させることで荒々しい馬のいななきを収録、戦闘シーンに大きな効果をもたらしました。以来、黒澤の作品が時代劇のお手本のような存在となったのです。とはいえ、リアリティーを求めた黒澤時代劇も、「用心棒」のようにひとりで多数を相手にするなど、娯楽性を持たせていました。
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