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現在、2006年ドイツワールドカップ出場に向けて、奮闘を続けるジーコジャパン。その日本代表を支える原動力となっているのがイタリア・セリエAのボローニャで活躍する中田英寿やオランダ1部リーグフェイエノールトの小野伸二ら、海外組と呼ばれる面々です。そんな彼らに先だって、海外で大活躍した日本人選手がいたことをご存じでしょうか。今回は、日本サッカーの歴史を振り返りながら、過去・現在・未来をつなぐ「MIJ」サッカー編をお届けします!
 1998年のワールドカップフランス大会の時はレギュラー全員がJリーガーだったのに対し、いまやメンバーの約半分が世界のクラブチームに所属しているA代表。Jリーグの発足以来、サッカーのレベルも向上し、海外進出も可能な時代になりましたが、その礎を作ったのはやはりこの人「KING KAZU」こと三浦知良選手です。高校を中退し、若干15歳で単身ブラジルに渡り、名門サッカーチーム「サントスFC」と19歳でプロ契約。23歳で帰国後は、代表の柱として活躍。さらに1994年(27歳)にはイタリア・セリエAのジェノアに移籍。1999年には、クロアチア・ザグレブへと移籍しました。そんな三浦カズよりも前に、海外でプロとして9年間プレーし、ヨーロッパNO1のクラブチームを決めるチャンピオンズリーグにも出場、更に日本人初得点をあげたのは「東洋のコンピューター」こと奥寺康彦(現横浜FCゼネラルマネージャー)です。千葉ジェフユナイテッドの前身、古河電工でサッカーをしていた奥寺は、その年の西ドイツワールドカップ優勝で当時世界最高峰リーグといわれていたブンデスリーガの強豪「1FCケルン」に移籍。約9年間にわたりドイツリーグで活躍、63試合連続出場記録を樹立するなど通算235試合に出場し25得点をあげたのです。

そしてもうひとり――メキシコ五輪で日本が銅メダルを獲得した年、サッカー王国、南米ブラジルにおいて、あのサッカーの神様と呼ばれたペレと同じチームに所属し、ブラジルサッカー界の伝説となった日系人がいました。アレシャンドレ・デ・カルバーリョ・カネコです。1946年にリオデジャネイロで生まれたカネコは、高校時代、サントスのユースに17歳で登録。そのユースの世界でサンパウロ州のチャンピオンとなった彼は、1967年、若干20歳で、トップリーグのプロ選手として契約します。

 サントスFCは当時、ペレなど多くの代表選手を抱え、1961年から5年連続ブラジルチャンピオン、62年、63年にはクラブチームの世界一を獲得するなど正に名門中の名門でした。その世界最高峰のチームに在籍したカネコは、当時のブラジル日系移民社会の中では伝説的な英雄となっていたのです。神様ペレが「あの技はマネできなかったね」と評し、「カネコ」とも呼ばれた技でブラジル中を熱狂させたカネコ。現在、58歳、ブラジルに暮らすカネコは、「小さい頃からドリブルが好きで、たまたまコントロールミスしたボールが足元に入りすぎてしまって、慌てて戻そうとしたら うまいこといってね・・それで練習していたんだよ」とそのワザが生まれた経緯を話してくれました。ペレと並ぶ英雄として、サントスで活躍した彼は、その後、アルゼンチン、ベネゼエラと渡り、1972年に引退するまで、多くのサッカーファンを熱狂させたのです。
 サッカーの母国イングランドから日本にサッカーが伝わったのは約130年前。新選組近藤勇が板橋の刑場で処刑(1868年)された6年後の明治6年(1873)です。その13年後(1886年)、当時の東京高等師範学校、現在の筑波大学に日本で初めてクラブチームが誕生しました。
当時はまだ、ヘディングすら知らない時代でした。そんな日本サッカーが世界にはばたく原点となった戦いといえば、1936年開催のベルリンオリンピック。この時期は、第2次世界大戦直前であり、世界から孤立しつつあった日本は、ヨーロッパで人気のサッカーを使って日本をアピールしようと、国際経験などほとんど皆無だった日本チームを派遣することにしたのです。初戦の相手は、優勝候補スウェーデン。
誰もがスウェーデンの勝利を疑わなかったこの試合で、なんと日本は3対2という逆転による歴史的勝利を挙げたのです。その後、1968年のメキシコオリンピックでは釜本選手(得点王)を中心に銅メダルを獲得しました。しかし、当時の日本代表選手は大学生や実業団所属のアマチュア選手で、勉強や仕事をしながらのサッカー生活を強いられていたのです。プロリークであるJリーグが誕生したのはメキシコオリンピックから25年後の1993年のことでした。
アルゼンチン1部リーグ・リバープレート4軍所属するFW。1985年3月27日生まれ。名門・東福岡高校出身、2年連続高校サッカー選手権に出場。左サイドのアタッカーとしての活躍が認められ、日本高校選抜に選ばれる。昨年1月よりアルゼンチンに渡り、リバープレートの練習生として「5軍」に入団。公式戦で得点を決めつづけ、今年4軍(19〜20歳)に昇格。先月スイスで行われた国際ユース大会で活躍、チームも優勝した事で、日本の関係者も注目。留学生としては異例のU19日本代表に召集された。スピードが武器のFWで、今後の日本の将来を担うと期待されている。

ポーランド1部リーグ・グールニグ・サブジェ所属するMF。1984年2月6日生まれ。昨年、海外クラブ入りを目標に、イタリア、ブラジルで単身武者修行。セリエAのブレシアに留学していた際に、元ポーランド代表で、現在グールニグ・サブジェの会長をつとめるコズミンスキに認められ、同クラブと契約した。ポーランドでプレイする初めての日本人選手。出場機会にはいまひとつ恵まれていないが、欧州トップリーグの1軍に所属する数少ない日本人のひとり。

スペイン1部リーグ・ビジャレアル3軍所属するMF。1985年7月27日生まれ。今年2月、アルゼンチン代表MFのリケルメも所属する、ビジャレアルに入団。静岡の名門・東海第一中で名をとどろかせ、卒業後単身イギリスに渡った。現在、スペインリーグで最も上位に位置する日本人。

イタリア・セリエA・ボローニャ所属。MF。1977年1月22日生まれ。現在戦列を離れるも、代表のキャプテンを担う日本の司令塔。
http://nakata.net/jp/

オランダ1部リーグ・フェイエノールト所属。MF。1979年9月27日生まれ。
http://www.shinji-ono.tv/

イングランドプレミアリーグ・フルハム所属。MF。1979年9月18日生まれ。ファンが選ぶ今年度最も美しいゴールをあげた選手に選ばれる。1日のイングランド戦で左足腓骨を骨折し、全治3ヵ月の重傷を負った。
http://www.junichi-inamoto.jp/

ドイツ・ブンデスリーガ・ハンブルガーSV所属。FW。1979年6月4日生まれ。
http://www.wowow.co.jp/taka/

イタリア・セリエA レッジーナ所属。MF。1978年6月24日生まれ。
http://shunsuke.com/

イタリア・セリエA U.C.サンプドリア所属。FW。1977年5月27日生まれ。
http://sports.nifty.com/atsushi/

5ベルギーリーグ・ヒュースデンゾルダー所属。FW。1976年6月5日生まれ。
http://www.t-s.to/30/

デンマークリーグ・FCノアシェラン所属。GK。1975年8月15日生まれ。
http://www.yoshikatsu.net/

フランスリーグ モンペリエ所属。MF。1977年5月6日生まれ。
http://nozomi-web.com/

オランダ1部リーグ・ADOデンハーク所属。DF、MF。1977年12月30日生まれ。
http://www.l-and-s.co.jp/japanese/athlete/toda/pro.html

●6月 9日 【2006FIFAワールドカップドイツ アジア地区第一次予選】
対インド[埼玉スタジアム2002]
●7月 9日 【キリンカップサッカー2004】
対スロバキア[広島ビッグアーチ]
13日 【キリンカップサッカー2004】
対セルビア・モンテネグロ[横浜国際総合競技場]
20日 【AFCアジアカップ‐中国】対オマーン[重慶]
24日 【AFCアジアカップ‐中国】対タイ  [重慶]
28日 【AFCアジアカップ‐中国】対イラン [重慶]
  ※7/30(金)/31(土)準々決勝、8/3(火)準決勝、8/6(金)3位決定戦、8/7(土)決勝
●8月 18日 【キリンチャレンジカップ2004】
対アルゼンチン[静岡スタジアム エコパ 予定]
●9月 8日 【2006FIFAワールドカップドイツ アジア地区第一次予選】
対インド[カルカッタ]
●10月 13日 【2006FIFAワールドカップドイツ アジア地区第一次予選】
対オマーン[オマーン]
●11月 17日 【2006FIFAワールドカップドイツ アジア地区第一次予選】
対シンガポール[未定・国内開催]
●12月 16日 【キリンチャレンジカップ2004】対ドイツ[横浜国際総合競技場]

 


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